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時は春、桜の季節。
春の行事が盛んになり、が仕える屋敷でも忙しなく女房や舎人が走り回り歌会始やら花見やらの準備をしていた。




「はぁ・・・疲れた」

仕事が一段落し、休憩する先輩女房に白湯を持って行くと彼女は憂い顔をして庭を眺めていた。

「ねえ、。次はいつ知盛様がお見えになるのかしら?」

「そんな事知りませんよ。流石に今の時期は出仕しないとならないのでしょう」

宮中の仕事が忙しくなったためか、最近は以前のように訪れなくなった公達について女房仲間から同じような事を何度も聞かれていた。
いい加減この話題にはウンザリしていたが、なるべくそんな感情を抑えて女房に答える。


「はあ…早くお見えにならないかしら…」

もしかしたら、彼はもう自分に飽きてしまったのかもしれない。
頭の隅でそう思ってもいたがウットリと“恋する乙女”の表情をしている彼女には黙っていた。
素っ気ないの態度に、一緒に白湯を飲んでいたもう一人の女房が呆れたように聞く。

「あれ程頻繁に通われていたのに、そんな物言いをするなんて・・・は寂しく無いの?」

「・・・そんなに、あの方を焦がれなければならないのですか?」

「当たり前よ!知盛様といえば、宮中の華と称される程の素敵な御方。
 そんな方が足繁く通ってくださるなんて…光栄以外のなにものでも無いのよっ!」

「え、いやその…」

光栄というか迷惑だったんだけど……
だが、の胸ぐらを掴んできそうな勢いの女房に圧倒されて何も言えなくなってしまった。


「でも、の元を訪れるのは何時も昼間だから何も無いって安心していられるし、
 私達もお姿を拝見できるから本当に感謝しているのよ」

「そうそうっ」

きゃあきゃあはしゃぐ女房達に、ガックリと脱力感を感じたのは何故だろうか。



月が頼りなく宵の闇を照らす夜半−・・・
はなかなか寝付けずボンヤリと月を眺めていた。










* * * *







の元を訪れるのは何時も昼間だから何も無いって安心していられるし ―


その言葉がずっとの胸に重くのし掛かっていた。

(私は知盛様に女として見られていないんだ・・・)

あんなに迷惑だったのに、ようやく平穏が訪れると思っていたのに…
ここ最近は何故か胸がもやもやして落ち着かない。

何となしに思い出して唐櫛笥から紅を取り出す。
唐櫛笥にしまったままだったそれは以前、件の青年から「少しは女らしくしろ」と渡された物だった。
あの時は余計なお世話と思ったが、今ではその気持ちに変化が生じていた。


「綺麗になりたいなぁ…」

次に彼が訪れた時に、せめて“女”として見てもらえるくらいに…
鏡の前に座り化粧気が無い唇に紅を引き、にっこり笑顔を作ってみるが…
自分の柄じゃ無いと感じて俯く。





いつまでそうしてボンヤリと座っていただろうか。
ふと、御簾越しに何者かの気配を感じて手近にあった燭台に手を伸ばし身構える。

(族!?それとも…夜這い…)

「誰か居るのですか?」

緊張の面持ちで陰に問うと、くつりと喉を鳴らす音が聞こえた。






「まだ起きていたか・・・」

聞き覚えのある声に、族で安堵して身構えていた身体の力を抜く。
御簾を捲し上げ、室内に入ってきたのはの予想通り、

「知盛様?こんな夜更けに・・・」

「宴に飽いて抜け出してきた」

「…お一人で、ですか?」

いくら何でも、今をときめく平氏の御曹司がこんな夜更けによそ様の屋敷に忍び込むとは、というか一人で出歩くとは…
少し驚きながら知盛に近寄ると、先程まで宴で飲んでいたのだろう。
彼が纏っている狩衣からは微かに酒の匂いがした。

自分の側に来たの顔を見た途端、知盛は眉間に皺を寄せる。

「…この様な夜更けまで起きて紅など引いて、誰を待っていた?」

「っそれは・・・」


言われて先程化粧を落とすのを忘れていた事を思い出して焦る。
夜更けに化粧して起きていたため、知盛に変に勘ぐられたのだ。

「どうした?」

「これは、その、逢瀬のためでも、何でもありません」

「あなたに会いたくて沈んでいた」なんて恥ずかしくて言えるわけ無い。
慌てて手の甲で唇をこすろうとするが、知盛に手首を掴まれ押さえられてしまった。

「言え」

両手首を掴む力の強さと紫紺の瞳に宿る苛立ちに、思わず顔を歪めながらは首を横に振る。

「言えません」

「クッこの俺にそんな態度をするとは…いい度胸をしているじゃないか?」

言い放つなり、知盛はの華奢な身体を柱に押しつける。
いつもより荒々しく強引な態度は酒が入っているからか?

「っ、こんなのは……こんなのは、おかしいです」

「…なんだと?」

知盛はピクリと眉をひそめたが、唇をきつく噛みながら口ごもるに「続きを言え」と鋭い視線で促す。

「…何で…何で、私のもとに来るのですか?知盛様は…私の事を女として見ていらっしゃらない。
 それなのに、こんな関係を続けているのは…おかしいです」

俯きながら紡ぐ言葉は、自分でも戸惑うくらいに弱々しいものだった。

「私は今まで・・・誰かを恋焦がれて涙する女にはなりたくないと思っていました。
 でも、今は自分の気持ちがわからなくて・・・このままでは、なりたくないと思っていた女になってしまう。だから…」

涙を浮かべながら上目づかいに見つめるを、拘束していた手首を解放するとそっと知盛の大きな手が頬を包み込む。
彼の紫紺色の瞳には、先程までの鋭さは無く優しい光が浮かんでいた。




「クッ…拒まれるのが怖くて手を出せなかったなどと、俺らしくなかったな」

「知盛さま…んっ!?」

目を見開いたの言葉を塞ぐように、突然降ってきたのは知盛からの深い深い口付け。
苦しくなって知盛の胸を押すが、きつく抱きしめられているためびくともしない。

酸素が不足して意識が朦朧としてきた頃にようやく解放された。

「はぁはぁ…」

「…俺はずっと我慢していたのだがな。これだけ煽られては…もう、抑えることなどできないぜ?」

こんな綺麗な男性に、耳元で切なげに艶めいた掠れ声で囁かれたら・・・どんな強固な女性も揺れてしまうんじゃない?
というか、ガッチリと力強い腕の中に捕らえられてしまい逃げられはしない。

「……」

熱に浮かされて霞みがかる視界に、天井が広がり床板の冷たさを背中に感じて…
は自分が知盛に組み敷かれてしまっていることにようやく気がつくが…



…そんなことは後の祭りで…


この日を境に曖昧だった二人の関係は“恋人”へと変化したのでした。



(めでたし、めでたし?)


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