この世界に跳ばされて、訳が分からないまま時間が過ぎていって…
私はずっと不安だった。
会いたかった親友と再開してから、その不安はさらに増していって…
白龍の神子でも八葉でも無い曖昧な自分の存在。
…でも、此処に居ると安心できるの。
あなたは私を無条件で受け入れてくれるから。
私にとってあなたの側が一番居心地がいい…
白龍の神子である望美と八葉、還内府こと将臣の働きにより和議が結ばれる運びになり、
30年以上続いた源氏と平氏の争いにようやく終止符が打たれる。
都落ちをしてから約一年ぶりに平家一門は京の都へと戻ってきた。
そして和議前日。
平家一門と行動を共にしていたの親友である望美から文を貰い、彼女との待ち合わせの下賀茂神社へとやってきた。
紅葉が色づきはじめた境内を歩いていると、本殿前に見慣れた紫苑の長い髪の少女を見つけて駆け寄る。
「望美〜!!」
「久しぶり、元気だった?」
振り返った望美は手を振りながら満面の笑みで答える。
「バリバリ元気だって!それより望美は八葉に変なことされなかった?」
「何それ〜?」
久しぶりに会ったため、ふざけながらおしゃべりに花に咲かせていた二人であったが、
不意に望美は真面目な顔に戻ると…半歩後ろに下がった。
「今日、此所に来てもらったのは…和議の前にとゆっくり話がしたかったからなの」
「話?」
首を傾げるに望美はゆっくりと頷くと話を切り出した。
「明日源氏と平家が和議を結んで、この戦が終わったら…私たち元の世界に戻れるんだよ」
「はひぃっ元の世界?!」
突然の望美からの知らせには驚き、素っ頓狂な声を出してしまった。
だって、元の世界に戻れるなんて思ってもいなかったから。
でも…と、
は視線を下とし自分の足下を見る。
「でも…望美や謙はともかく、私と将臣は年取っちゃたし…いくら何でも誤魔化せないよ」
将臣と共にこの世界に跳ばされてから四年近く経ち、自分はすっかり大人になってしまった。
「全然変わらない」と再会した時に望美は言っていたが、いくら何でも家族を誤魔化せる筈はない。
「大丈夫!白龍がの時間の流れを戻してくれるって。だから安心して!また一緒に学校に通えるね」
嬉しそうにはしゃぐ望美とは逆には素直に喜べなかった。
元通りの生活に戻れる事に対する嬉しい気持ち、それ以外にもやもやと胸焼けのように沸き上がってきた複雑な気持ち。
これをどう表現したらいいか…わからない。
「…望美、ごめん。急すぎて頭がこんがらがってきたから、少し時間をもらってもいい?」
* * * *
都落ちをするときに屋敷に火を放ったため、平家の主立った面々は京の屋敷を借り和議までの間の住まいとしていた。
その屋敷の外廊下に出て月を肴に酒を飲んでいるのは、先の新中納言 平知盛。
十三夜の月に煌めく銀髪、端正な顔立ちの持ち主だが…
知盛は先程から背中にのしかかる重みに、眉間に皺を寄せる。
原因の後ろにいる人物の無遠慮な振る舞いは、いつもの事だがいい加減堪えられなくなり、
ごとっ と投げるように盃を置くと少し苛立ちながら振り返った。
「…おいっ」
視線の先には知盛の背中に寄りかかりながら床に足を投げ出しているがいた。
常人ならば不機嫌な彼の醸し出す雰囲気に近づくことすらできないのだが、は臆することなく片手を上げて答える。
「なーにぃ?」
「いい加減退け。…全くこの程度で酔うとは、仮にも一軍を率いていた将とは思えんな」
「うるさいなぁ〜いいじゃない減るもんじゃないんだから背中くらい貸してよ」
普段ならばこの程度の酒では酔わないだが、今日はやけに酒が回るのが早い。
知盛はその様子に何かがあったのだろうと感づいたのか…
盛大な溜息を吐いたが、それ以上何も言わなかった。
そんな知盛の優しさにはフッと笑うと、全体重を知盛の背中に預ける。
この世界に跳ばされてから4年もの間…彼には何度助けられただろうか。
最初は不遜な態度や退廃的な雰囲気に苦手意識を持っていたが、今では彼の側が一番居心地いい場所となっていた。
心細くて泣いた時も、凄惨な戦場でも、彼が側にいてくれたから自分を保つことができたのだと思う。
…こんな記憶を抱いたまま自分は還っても、姿形は高校生に戻ったとしても元通りの生活なんて送れるのか?
元より還れるなんて思ってもいなかった。
否、還ることなんてずっと前に諦めていたのだ…
「はぁ…元の世界かぁ……っとと」
ぽつり呟いた時、知盛の肩がピクリと微かに揺れた。
全体重を彼の背中に預けていたはバランスを崩してして横にずり落ちそうになるが、無言のまま回された知盛の腕が身体を支える。
「ありがと…」
そっと回された腕に自分の手を添えると、知盛の腕に力がこもるのを感じて…は瞳を閉じた。
− 和議から数日後 −
夜半過ぎ、自室へと戻るため外廊下を歩いていたは人の気配を感じて足を止める。
(まさか、族!?)
一瞬身構えるが、庭先に佇む人物の姿を確認して目を丸くした。
「ちょっ、望美!?どうしたの!こんな夜更けに!?」
どうやって此所に侵入したのか、何で庭先なのか?いや、こんな時間に何を考えているのだ。
神子ということを抜きにしても、年頃の娘がこんな夜更けに一人で出歩くなど危険極まりない。
は裸足のまま庭へ飛び降りると望美に駆け寄る。
「女の子がこんな夜更けに危ないでしょ!?」
勢いよく肩を揺するの剣幕に望美は、ごめんと謝るが真剣な表情で此所に来た理由を話しはじめた。
「…私達、明後日元の世界に還る事にしたの」
「明後日?そんな急に?」
「はどうするの?……ねぇ、一緒に還ろう?」
だが、縋るような望美の視線に即答出来ず俯き考え込む。
…ずっと胸に留まるもやもやの原因を探るために。
(私はどうしたいの?戦も、何も危険も無い現代に還る…ずっと望んでいた事なのに)
考えれば考える程、胸がキリキリと痛み出す。
「私は…」
暫く思案した後、ようやく答えを導き出したは顔を上げた。
そのままゆっくりと後ろを振り返ると、障子戸の向こうに居るだろう人物に問いかける。
「…ねぇ、私は此所に居てもいいかな?」
の言葉に障子戸の陰から姿を現したのは予想通り…
「…お前の好きにするといいさ」
ぶっきらぼうに答える知盛には嬉しそうな顔になる。
「…」
そんな二人を見て望美は目を瞬かせるが、悟ったように微笑んだ。
「わかったよ」
頷くと、知盛の側まで歩み寄り キッと睨みつける。
「知盛、をよろしくね。泣かせるような真似をしたら許さないからね!」
「クッ、さてな」
「望美…ごめんね」
望美は少し寂しそうに、だが、晴れ晴れとした顔で横に首を振る。
…彼女のその顔は今まで見たことがない程大人びていた。
「が生きていてくれるなら、幸せならいい。…元気でね」
「うん。望美もね…」
ぎゅっと抱き合う。
太刀を持ち戦うことも、喪失の痛みも、何も知らなかった頃にふざけて抱きつくことはあったけれど…
これは別れの抱擁。
きっとこの手を離したら永遠の別れとなるだろう。
だが、二人には涙は無かった。
いや…今は泣くわけにはいかない。
走り去る望美の姿が見えなくなると、知盛は俯くを抱き寄せ、耳元に顔を寄せて聞く。
「…良かったのか?」
「…いいの。私は此処に居たいから…」
「クッ、神子殿に言われなくても、お前の面倒くらいみてやるさ」
「うん…」
珍しく優しい知盛の声色に、自分の髪を撫でる大きな掌の温かさに、堪えきれなくなりは広い胸に顔を埋める。
彼の纏う香が自分を包み込み、涙腺が緩む。
大好きな親友、自分を愛してくれた家族…
あの世界で自分を取り巻いていた全てに…
「さよなら…」
知盛の肩越しに見上げた夜空に浮かぶ十六夜の月は−…
涙で霞んで見たことがないくらい美しかった。
(おしまい)