「ん…」
重たい瞼をゆっくり開くとぼやける視界に入ってきたのは…薄暗い室内のためよく見えないが木目の天井?
「あれ、何処…?」
顔だけ動かして周りを見ると、夕刻なのか薄暗い室内に僅かな明かりを室内に届ける障子、襖に畳、土壁という昔ながらの和室。
自分の部屋は洋室だし、此処は風間が使っている我が家唯一の和室とも明らかに違う部屋だった。
しかも、いつの間にか着ていたカットソーとスカートから薄ピンク色の襦袢に着替えているし。
普段はベッドに寝ているためか、マットも敷かないで畳にそのまま敷かれた布団に寝ていたせいで少し痛む身体を起こして改めて室内を見渡す。
薄暗い部屋には調度品は無く、自分は部屋の真ん中に敷かれた布団に寝かされていたようだ。
「これ、なんなんだろう…」
マンションのリビングに居たはずなのに何故こんな場所で寝ているのか、それに一緒に居たはずの風間はどうしたのだろうか。もしかしてこれって誘拐?と、溜め息混じりで俯きながら考えていると襖の向こうに気配を感じて顔を上げた。
「目が覚めたか」
襖越しに聞こえた声は普段よりずっと優しくて、緊張して強張っていた身体の力が抜けていく。
「…風間さん?」
控え目に問うとゆっくり襖が開く。
廊下に立っていたのは、やはり意識を失う前に見たままの着物姿の風間だった。
フィルター代わりの眼鏡をかけていないからの目には鬼としての姿が映る。
珍しい着物姿だからか、廊下側の閉じられた障子から差し込む蒼白い月の光が、彼の端正な顔立ちを際だたせてものすごく色っぽい。
ただ其処に立っているだけなのに映画のワンシーンを見ているようで、思わず見とれてしまった。
「どうかしたか?」
室内へ入ってきた風間の声で我に返ると、は慌てて少し乱れていた襦袢の襟元を直す。
「えっと、此処は何処だろうってか、何で私は寝ていたのかなって頭の中がぐちゃぐちゃで、訳わからなくなってっ」
貴方に見とれていたなんて言えず、何を話せばいいのか整理も出来ていない頭で答える。
だが、途中から何も言えなくなってしまった。
身を屈めた風間がの肩を抱き寄せたのだ。
「確かに生きているな…」
温もりを確かめるように風間はを抱きしめる。
恥ずかしすぎる状況で早く解放してほしいのに、どこか切なそうな声色に拒否する事など出来ない。
自分も腕を彼の背中に回した方がいいのかと一瞬悩んだが、は控え目に風間の背中に手を回して着物を掴んだ。
「あ、あの…風間さん、此処は何処なんですか?」
「此処は四条の旅籠だ。今は平成の世では無く…慶応の時代だ」
「慶応?慶応って言うと、あれ?幕末…」
風間がやって来る少し前に観た幕末の志士を主人公とした大河ドラマで慶応という年号が出てきた気がする。そう理解すると、どうしようもないくらい熱が集まっていたの顔から一気に血の気が引いた。
風間が背中を支えていなければ後ろに倒れていただろう。
「どうやら俺が生きていた時空に戻ってきたようだ。少しばかりのずれはあるがな」
「ちょちょちょっと、待って何で私も巻き込まれてるの!?」
信じられない、と今にも取り乱し始めるの目尻に浮かぶ涙を親指の腹で拭い、風間は彼女の耳元に顔を寄せる。
「さて、な。心配せずともお前を放り出したりはせぬ。それに言っておくが、あの時…必死に腕を伸ばして俺の手を掴んだのは…、お前だ」
耳元でそう囁けばあっさりは口を噤んでしまう。
…あの時は咄嗟だったとはいえ、手を伸ばしたのは自分だから反論も、不満も何も言えない。
「それにお前は俺が居なくなったら寂しいのであろう」
低音の声を流し込むように耳元で囁かれるともうどうしていいかわからない。分かっていてやってくれるものだからこの男は質が悪いのだ。
羞恥で真っ赤になった顔を逸らしたいのに、後頭部に回された風間の手がそれを許さなかった。
「違う、と否定してみるか?」
「…違いません」
認めるのは悔しいけれど、以前自分の口から告げてしまった事実なのだから否定も出来ない。
「えっと、元の時空に戻るまでの間、お世話になります」
「…元居た時空に、たとえ戻る方法が見付かったとしても…帰してなどやらぬが」
間違いなく独占欲に満ちた本心を知ったらいくら危機感の薄い女とはいえ逃げ出しかねないだろうから、最後の方は側に居るには聞こえないくらいの声で風間は呟く。
不思議そうな顔をするに何でもない、と風間は応えると彼女の頭を引き寄せて額に口付けた。
「風間ぁ、いい加減いちゃつくのを終わりにしろよ」
互いの唇が重なろうとした瞬間、話って入ってきた第三者の声ではギクリ、と肩を揺らす。いちゃつき現場を見られてしまったという事実に全身真っ赤になって、風間から離れるため身を引いた。
舌打ちと同時に振り向いた風間の鋭い視線の先には、二人の長身の男性、否、額に角がある鬼が立っていた。
「風間がずいぶんとお世話になったようですね」
天霧と名乗った方の鬼は柔和な笑みをに向ける。
「貴様等…もう少し気を使えぬのか」
「気を使ったから今まで声をかけなかったんだろうが」
不知火と名乗った髪の長い鬼は慣れているようで風間に睨まれても上手く受け流す。
(この二人も鬼…)
いくら鬼とはいえ男性と同じ部屋にいるのに襦袢姿というのは女として駄目な気がする。このままだと失礼だけど、布団からでた方がよいものか悩む。
どうしたものかと考えていると、不知火が風間の肩越しに覗き込んできた。
「さっきは寝顔だったからよくわからなかったがよ、風間が気に入る訳だ。よく見付けてきたな、なかなか居ないぜこんな上玉の女鬼」
「女鬼?」
言われた言葉が理解出来なくて何度か眼を瞬かせた。
鬼?鬼とは彼等と同じ…?
「えっと、私は人間で鬼ではありませんが…」
少なくとも生まれてから人間として暮らしてきたし鬼と関わったのは風間がやって来てからなのだ。いきなり幕末にタイムスリップして、鬼に女鬼と言われても…戸惑いの表情を浮かべる。
「純血では無いにしろ気配は女鬼そのものだろう」
「もしや、貴女は自分が鬼であることを知らないのですか?」
二人の反応からこれは冗談では無く真実なのかもしれない。
「風間さん、私は鬼なの?」
「…そうだ。お前の叔母は何も教えていなかった上に隠していたようだが」
「それじゃ、ずっと前から気が付いていたの?」
鬼の一族の中でも女鬼はあまり生まれないから貴重だと、以前風間は言っていた。別に特別に想ってくれているとかじゃなくて、貴重だから?だから自分を巻き込んでこの時代に連れてきたのだろうか。
「風間さんヒドイ」
少し傷付いた思いで横を向けば、風間はクツリと喉を鳴らしの顎に手をかけ、上向かせる。
「俺は、お前が鬼であろうが人であろうが手放すつもりは無かったがな。それにお前も離れるのは寂しいと言っていただろうが」
「うう…それはそうだけど…」
実は自分が鬼だったというショックなんかより、彼にはめられた感が強いのは、きっと被害妄想とかでは無いと思う。
何だか悔しくて睨んでみたけど風間には全く効果は無かった。
腹ぐ……いえなんでもないです
(でも、この自己中心的な笑みをうかべている顔が嫌いじゃ無いなんて、きっと私は風間千景という鬼をこれから先もずっと、嫌いにはなれないんだろうな)
「風間に気に入られるなんてアンタも大変だなぁ」
「風間がご迷惑をおかけして申し訳ありません。何か困った事があれば我々も力をお貸しいたしますから遠慮せず言ってくださいね」
「あ、ありがとうございます。これからお世話になります…」
***
ヒロインの家系は鬼の血を引いていました。その中でもヒロインと叔母の月子さんは血が濃く現れてしまった、という感じです。
風間さんは先に相手の気持ちを確認した上での確信犯だったり。
逆トリップ話をこれにて終了となります。思いのほか優しくて甘く風間千景になってしまった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。トリップ後の話は…もしかしたら続くかもしれません(*^o^*)