貧困街で産まれ育ったためか満足な教育もうける事も出来ず、少年は成長するにつれて生きるためという名目で盗みに恐喝、果ては殺人にまで手を染めていた。
この境遇に自分を産み落とした親を、社会を憎む事が彼の糧であり全て。
そんな彼を拾ってくれたのは…この都市ではそれなりに名前が知られているマフィアだった。
下っ端とはいえ組織の一員に加えてもらえて、初めて自分の存在価値を認められた少年にとって、それはようやく出来たファミリー。誇らしげに胸を張って街を闊歩したものだ。
ドォー…ン
裏社会の人間が集う、都市の中心部から少し外れた一角に銃声と爆発音が響く。
この一角での血なまぐさい出来事は日常茶飯事であるのだが、この日ばかりは様子が違っていた。
ビルのコンクリートの壁にはバズーカが撃ち込まれ、ガラス張りの壁面は日光の反射でキラキラと輝いていたというのに、すでに見る影も無いほど崩れ落ちてしまい辺りは瓦礫と化していた。
いくら無法地帯でもこの騒ぎに警察が出てこないのがおかしい。
後々になって思うと、“あの女”が警察には手を出さないようにと手配をしていたのだろう。
他の組との少しばかり激しい抗争が始まったのか、そう思って加勢に加わった少年は絶句する。
そこで繰り広げられていたのは信じられない光景だった。
仲間が撃つ銃弾の雨の中、赤い刃を振るっているのは…たった一人の女。
銀色の残像を残して女の姿が消えた瞬間、悲鳴と血しぶきが飛び散る。
肉片と化し倒れていく仲間の姿よりも恐怖したのは、得体の知れない女の力だった。
『ぐぁっ!』
ボスのボディーガードをしていたのは腕の立つ男だった。
ハンターライセンスを持っているほどの屈強な男が、見た目は華奢な女によって簡単に叩きのめされて ガクリ と地に膝を突く。
口から血を吐きながら、立ち上がり女に向かって右手を突き出し何かを放とうとする男の頬に、女は微笑みながら触れた。
『!?』
次の瞬間、男の目はこれ以上ないというほど見開かれる。
ビクンッ と男の身体が痙攣した。
色白だった男の皮膚が赤黒く変色し始め、血管がボコボコと粟立つ。
そして強力な塩酸をかけられたように簡単に皮膚がめくれあがると、ピンク色の肉があらわになり溶けていく。
血液は一滴も流れ出さずに仄かに湯気を上げながら蒸発しているようだった。
ブチブチと音を立てて切れながら溶けてていく筋肉繊維。
腱と骨を残して筋肉はべちゃり、ぐちゃりとドロドロに溶けていき、残った骨も瞬く間に崩れ落ちた。
何度となく経験した殺しの現場には慣れているはずだった。
だが、こんなに異常な…スプラッター映画の光景を目の当たりにする事など初めてで、こみ上げてくる吐き気を堪えられずに嘔吐していた。
コツコツコツ…
優雅ささえ感じる足取りで女が近づいて来るが、少年は腰が抜けてしまい逃げたくても逃げる事は出来ない。
『かわいそうに、怯えているの?』
…きっと違う場面で彼女に出会ったなら確実に見惚れてしまうだろう。
だが彼にとって、彼女に対して今まで遭遇した事が無い恐怖を感じていた。
マフィア連中とも違う研ぎ澄まされた殺気…頸動脈に鋭い刃物を突きつけられた錯覚に陥る。
少年は喘ぎながら呼吸をするのみで、悲鳴すら上げられなかった。
『あぁぅ…』
『くすっ…男のくせに情けないわね。いいわ、あなたはまだ子どもですもの。生かしておいてあげる』
生き残りをつくると後々面倒だから、組織の人間は皆殺しにするつもりだったが…少年を助けたのは女にとってはただの気まぐれ。
殺気を消すと同時に女は、もはや彼に興味を無くしてその場を後にする。
その場に残ったのは、白目をむいて失禁してしまった少年だけだった。
― あれは、あの時の女だ ―
初めてポスターを見たとき男はそう思った。
大都会の貧民街で生まれた育ち、裏社会の底辺から手段を選ばずに這い上がった男は、今ではマフィア界のトップである十老頭に意見できるまでの地位まで上り詰めていた。これまで裏切りと騙しあいの日々の中、何度も傷を負い修羅場を生き延びてきたはず。
だがそのポスターに写っているモデルを見たとき、身体の底から湧き上がる恐怖に男が握りしめた掌と背中を嫌な汗が伝っていた。
銀糸の髪、白磁の肌、蠱惑的な唇、そして血を彷彿させる深紅の目…
間違いないこれはあの女だ。
最後に女を見てから…20年近く経つ。その時と全く変わらない女の外見に娘か?とも思ったが、正体をハッキリさせないと落ち着かなくて、気が付いたら女の身辺調査をしていた。
しかしどんなに金と労力と使っても全く情報が集まらない。
流星街出身者か?それなら納得できるが。
所属しているモデル事務所の社長は裏社会にも通じている上にガードが固いため、十老頭の名前で圧力をかけて女をパーティーに招いてみた。
そして、実際に自分の目で女の姿を見て男は確信する。
これは、あの女だ。と―…
もちろん、女の出方を試すために仕掛けた強盗に扮した部下が一瞬で倒された事も、その考えを後押ししたのだが。
以前と変わらない女の姿に、どのようなカラクリがあるのか分からないが間違えるわけは無い。
男にとって、あの時味わった恐怖と屈辱は忘れることなど出来ないのだから。
* * * *
「ばかな…」
仕立ての良いオーダーメイドのスーツを身に纏い、額に斜めに傷跡のある男は呻くように呟く。
どかっ
自分に向かって飛ばされてきた大男を両手では支えきれずに、その場に尻餅をついてしまった。
大男の身体がぶつかってきた衝撃に息が詰まり、これ以上はないというくらい彼の目は血走り見開かれた。
何故ならば、飛ばされたボディーガードの大男の身体は上半身のみで、下半身は部屋の隅に転がっていたのだ。
男は息をしている味方はいないか室内を見渡すが、彼を警護していた念能力者達はすでに四肢を切り刻まれた物言わぬ姿になっていた。
ボディーガードの身体の裁断面から垂れ下がる内臓から滴る血液で、オーダーメイドスーツが汚れてもいくが気にしてはいられない。
もがきながら大男の身体をどかすと、ボディーガード達の血と脂汗で歪む視界で、前方に悠然と佇む黒コートは羽織ったオールバックの若い男を睨み付ける。
「だれの命令でこんな真似を…!お前は何所の組の者だ!?」
精一杯虚勢を張り、怒鳴ったつもりだった。だが、黒コートの男から放たれる刃物のような得体の知れないプレッシャーに身体が自然と後ずさってしまう。
「お前は一体、何もんだ…?」
マフィアのボスである自分は他のファミリーとの抗争など、相当な修羅場をくぐってきたはずだった。
直属の上司である十老頭以外の指図は受けるつもりなど無いし、どんな相手だろうが負けるつもりなど無い。だが、何なんだこの男から発せられるモノは…!!
さらに信じられない事に、今自分がいるビルには国家機密レベルの警備システムが敷き詰められ、鼠の子一匹も侵入させるはずは無かった。しかし、黒コートの男は警備システムに感知される事も無く、この部屋までやって来たのだ。
室内の状況は管理室の監視モニターに映っているはずなのに、誰も駆けつけてこないということは……警備システムの異常か、すでにこの侵入者に殺られたか…
「他の誰かなら放っておいてもよかったんだが…」
黒コートの男がゆっくりとした足取りで近づく。室内に射し込む月明かりで男の額に彫り込まれた十字が露わになる。
「あいつの事はそれなりに気に入っているんでね」
“あいつ”とはあの女の事か。
極秘で依頼をしたはずだから、部下やゾルディックから情報が漏れるとは思えなかった。
この男がどこから情報を仕入れたのか問い詰めてやりたくなった…生き延びる事が出来たなら。
銃を向けても黒コートの男は眉一つ動かさない。少しでも優位に立とうと、必死で笑みを作り動揺を隠した。
「…もう遅い。あの女は今頃ゾルディックの奴らに殺られているさ」
「フ、あの女はそう簡単には殺られはしない。それはアンタもわかっているだろう。だが…ゾルディックを止めるために、依頼主であるアンタには死んでもらう」
バン!
黒コートの男を目掛けて撃った銃弾は、ただ床に穴を開けただけだった。
キョロキョロ と辺りに視線をめぐらせ消えた相手追う彼の肩に、気配も無く手が置かれる。
「終わりだな」
涼やかな声が耳元で聞こえた気がした。
…To be continued.