静寂が支配する暗闇の空間に響くのは少女の息づかい。
泣きじゃくっていたはずの少女の目にはすでに涙は無く、目の前に立つ銀髪の女を見詰めていた。
「戦うの…?」
微かに彼女が頷けば少女は僅かに眉尻を下げ、それでも真っ直ぐに女を見詰める。
「戦って欲しくないの」
どうして?と問われても理由はわからない。だがそれが少女の素直な今の気持ちだった。
「彼は、ある意味貴女を裏切ったのに?」
「それでも、嫌なの」
確かに知った事実には泣きじゃくるくらいのショックを受けたし、左胸を刺された時は痛くて死を覚悟した。
だが少女にとって目の前に居る彼女と、今から彼女が対峙する彼のどちらも大事に思う相手…二人に戦って傷付いてほしくない、それが偽ざる本音だった。
クスリ…
意地の悪い質問にも迷うことの無く頷く少女を見て、女から思わず笑みが漏れる。
少女がそれを捉える前にすぐに消えたが。
「…今の貴女なら全てを知っても、耐えられるかもね?」
どちらにしても少女は知らなければならない。自分が生まれ、この世界に存在する理由を。
しかし今はこの事態を打破するのが優先だ。
「私を見て見抜くことができたなら戦わないわ。でも、見抜けないような男ならば…」
― そんな無能な男なんて、このコが慕う価値なんかは無いわね ―
続きは声に出さ無かったが少女には十分伝わっただろう。
息を呑む気配を感じたが振り返ることはせず、瞳を閉じて意識を集中させた。
さて、物騒な連中はこの寝起きの躯にどんな刺激を与えてくれるのやら…?
あんなに外に出るのが嫌だったのに…少しだけ期待している自分自身を嘲るように口の端を歪めていた。
人が、女が死ぬ場面など何度も見てきた。
子どもの頃は、病や飢えで死んで逝く者やゴミと一緒に棄てられた死体を目にすることは珍しく無く、初めて手を血に染めたのは生きるためにだったが、それがいつの頃だったか覚えてはいないが。
すでに大人になった現在は、目的のために邪魔になりそうならば殺す。それが当たり前となっていた。
左胸を貫いた傷は致命傷。即死にならなかったが、溢れ出る血液はすでに致死量に達しているだろう。
クルクルとよく動いていた赤い瞳はきつく瞼が閉じられて、ピクリとも動くことはない。
形の良い唇と血色の良かった頬からは血の気が引き、蒼白になっていた。
誰の目から見ても『手遅れ』なのは明白で―…
…力無く倒れ血に赤く染まって逝くを前にしてどういう理由か、足に根が生えたように動く事が出来ずにクロロは立ち尽くしていた。
目当てのお宝は目の前にあるというのに、奪うこともせず手足に指示を出すこともしないで、ただ呆然と動かない女を見つめるのは冷徹非道な蜘蛛の頭。
「やっぱりこの子はあの時の子…」
髪の色は違うが、彼女は一昨日マチが助けた“死んでほしくなかった女の子”だった。
「この子ってさモデルのだよね。団長、知り合いだったの?」
シャルナークの問いにクロロは答えない。ただ漆黒の瞳の色がさらに濃い闇に染まった。
それは、側に居るシャルナークやマチも幼い頃以来かもしれないくらい、久しぶりに見た彼の動揺した姿だった。
クロロと彼女が知り合いだったという事も驚きだが、マチは勘が当たってしまった事に唇を噛む。
「ちょっ!?フェイタン待ちな」
ホールに漂う微妙な空気を読まずに、倒れている女に触れようとしているフェイタンの肩をマチは睨みながら押さえた。
「なぜ止める?首落としてから奪う」
「ちょっと待ちなって!」
「二人とも待て」
もう少し空気を読め、そうマチが言いかけた時、発せられたクロロの一声で二人の動きが止まる。
「団長?」
「団長どした?」
あまり感情を面に出さないクロロの漆黒の瞳が細められ、さすがにフェイタンも彼の機嫌が最悪なのに気付いたようだ。
普段冷静なフェイタンだが、戦闘と相手を痛めつける拷問となると見境が無くなる。
それを熟知している団長自らルールを破ることはしないだろうが、マチとシャルナークはこの後の事を想像して内心冷や冷やしていた。
「あーみんな来てたんだ」
大きすぎるメガネをかけた、肩までの長さの黒髪女性が脳天気な声を上げながらクロロ達に駆け寄る。
一見したら普通の女性だが、彼女が手にしているのは目玉付きの掃除機。
「シズク終わったの?」
シャルナークが手を上げて応える。
招待客と警備員達を粗方始末してきたのだろう。辺りはいつの間にか静かになり、無数の死骸や崩れ落ちた壁の瓦礫は全て無くなっていた。
「ゲェ〜プ」シズクが持つ掃除機が満腹を訴えてゲップをする。
「あれーみんなどうしたの?」
側まで来て何時もと少し違う仲間の様子に気付き、シズクは不思議そうに目を瞬かせた。
「団長?」
シズクに少し遅れてやって来た福耳の大男も、クロロの様子に気付き声をかける。
「みんな何?あのコがどうかしたの?」
クロロの見詰める先、倒れているにシズクが視線を移した時…
長い銀髪が風も無いのに微かに揺れた。
「フェイタンッ避けろ!!」
僅かな変化に気付いたクロロの叫び声と同時に、銀色と赤が煌めいた。
ザシュッ
「くっ…!?」
クロロの声と同時に後ろへ跳んだため、刃先はフェイタンの服を掠めて鳩尾から肩までの服と表皮のみを薄く切り裂く。
一瞬の動きで立ち上がるとおぼつかない足取りで、女は片手に持つ深紅の刀を杖代わりにして体勢を整えると、ゆっくりと顔を上げ瞬きをして瞳を開いた。
瞳の色は血を彷彿させる深紅。
身に纏うワンピースも最初からそうであったかのように赤々と女を彩っていた。
…To be continued.