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― 深夜 ―


幻影旅団がカーナギーホールを襲撃してから半日も時間が経過していなかったため、高層ビルが建ち並ぶ中心部の一帯は警察が検問でもしているかと思ったが、予想に反して普段の警備に毛が生えた程度のものだった。
彼等にしてみたら、警察に警備を強化されようが警報システムをはりめぐらそうがあまり支障はないが。
現にビル内部に張り巡らされた最新鋭の警報システムは、すでにシャルナークによって解除されていた。




「しかし、呆気ない警備だね」

「まーね、これじゃあフェイタンは物足りないだろうね」

カーナギーホールから引き続いて、クロロと行動を共にしているシャルナークとマチも拍子抜けした面持ちをしていた。
「好きに暴れて来い」とフェイタンに言っておいたが、人気のないビル内では暴れたくても出来ないだろうが。

(後で文句を言われそうだな)

それも面倒だな、そう思いながらクロロは社長室の豪華な装飾が彫り込まれた分厚い扉に手を掛けた。







ノックもなく部屋に入って来た無礼な者達を椅子に座ったまま一瞥すると、リアは「へぇ」と声を漏らした。
間接照明しか灯されない薄暗い室内に音もなく入り込んだ二人の男と女が一人。
ホール内に居る人間を皆殺しにしようとしたという、荒っぽい手口からどんなに無骨な奴等かと思っていたら顔立ちが整った若者達。



「貴方達が蜘蛛のメンバー?思ったよりずっと若いのね」

掛けていた眼鏡を外しながら、リアはゆっくりと椅子から立ち上がる。


「驚かないの?ずいぶんと落ち着いているんだ」

自分達が蜘蛛だと知りながら、取り乱す事も無い彼女の様子を面白がっている口振りのシャルナークにリアは肩を竦めて応えた。


「時間も無いし、これ以上は足掻いても仕方がないと思ってね」

言いながら執務机の前まで歩くと、細い指先で机上に置いていた小箱の蓋を開ける。
箱の中に収められていた、淑女の涙が間接照明の淡い光を反射しながらがキラキラと輝きを放つ。


「貴方達が来るのわかっていた。というか、先ほど彼女から忠告されたしね。それで…団長さんに素直に淑女の涙を渡したら、退いてくれるのかしら?」

「残念ながら目撃者は全て消すつもりだ」

お目当ての淑女の涙を目の前にしても眉一つ動かさないクロロの、あまりに想像通りの返答に思わずリアの口元から笑みが零れる。


「気持ちいいくらいお決まりの返答ね…それじゃあ最後のお願いしてもいいかしら?」

眉を顰めたシャルナークとマチとは違い、無表情のままのクロロの目を真っ直ぐに見詰めて言い放つ。


「私を殺す時は、強く抱き締めて頂戴な」


一瞬の間を空けてマチは露骨に眉間に皺を寄せ、シャルナークからは「はぁ?」と間の抜けた声が上がる。

「男なんて興味は無いけど、一人寂しく死ぬのは嫌だもの。せめて誰かに抱き締められて死にたいのよ。あ、何ならそこの綺麗なお嬢さんでもいいけれど」

「あ、あたしはそいう趣味は無いっ」

意味深な視線を向けられて、マチは頬を引きつらせながら慌てて後ずさった。


「いいだろう」


優雅ささえ感じさせる動きで恋人に接しているように腕を伸ばすと、クロロはリアを引き寄せる。
無表情のままで冷たい闇のような瞳を持つくせに、彼の抱き寄せる仕草が優しくて一瞬自分の立場を忘れてしまいそうになった。


「…貴方はあのコもこうやって抱いているのかしらね」

「なんの事だ?」


イミテーションに仕込んでいた盗聴器により、銀髪の二面性を持つあの娘とこの男が知り合いだということはわかっていた。
冷徹非道、悪名高い幻影旅団の団長が彼女は殺さなかったという事実…それは二人が深い仲だということか。
もしかしたら、彼女も同じように彼の腕に抱かれているのかもしれない。
真相はどうだろうと、このまま死んでも構わない…そんな馬鹿げた事を思いそうになるくらいクロロの腕の中は心地良く感じた。…でも、

「でも…私はまだ死にたくないのよ」


引き締まった胸に深く体を埋めれば、男の体温と脈拍が伝わる。
クロロの腕に抱き締められる前に、ポケットに隠し持っていたナイフを手探りで取り出すと、その切っ先をクロロの背中に向けた。



「残念だったな」




トスッ…




「あっ…」


背中に振り下ろすより早く、クロロの持つメスのように鋭い小振りのナイフがリアの後頭部に突き刺さる。




「おやすみ、よい夢を」



低音の声を更に低くして、耳元で甘く囁いた。

つー…
リアの両耳の穴から一筋の赤い筋が伸び、榛色の瞳がぐりんっと反転して白目を剥く。










「馬鹿な女だ」



ぐったりと力を失い、肩にもたれ掛かるリアの身体をクロロは床に横たえると、物言わぬ躯には目もくれず執務机へと足を進めた。

執務机の上に置かれたケースからクロロは無造作にダイヤモンドのネックレスを取り出す。


「団長、今度は本物?」

「ああ」


掌の上で輝くのはイミテーションではなく本物の“淑女の涙”。

手に入れるまで手間がかかったというのに、クロロには何の感慨も浮かんでこなかった。
あんなに欲しかったのに、目の前あるのはまるで長い年月を経て輝きを失った色褪せたガラス玉。
手にした瞬間にはもうすでにこんな物からは興味は失せていた。

取り敢えず団員達に“淑女の涙”を見せるが、明後日には裏ルートに流れるだろう。



本物のダイヤモンドより、血に染まった女が首にかけていたイミテーションの方が余程輝いて見え綺麗だったと感じて、クロロは自身を嘲る笑みを浮かべた。










…To be continued.