青年が振り向いた先、部屋の入口に、上品な着物を着た彼の眼から見ても美しいと思える女が静かに立っていた。
普通の人間のはずなのに、彼女は完璧すぎるほど隙が全く無い。
そして、受ける印象が違うがどことなく自分が押し倒している女に外見が似ている。
「…そこまで。その子を放していただけない?」
青年の鋭い視線に怯むこともしない上に、こんな状況を見ても冷静なままでいる女の声色に、青年はの首から手を放す。
その瞬間、一気にの気管に新鮮な酸素が入っていく。
「ゲホッゲホゲホッ!」
息苦しさから解放されて、自由になると同時には激しく咳き込む。
「いきなり女の子を押し倒すとはあまり穏やかではないわね。その子は倒れていた貴方を助けて看病していたというのに……、大丈夫?」
動けないままでいる身体を起こして背中を擦ってもらうが、なかなか震えと咳は治まってくれない。
青年は感情が読めない瞳で二人の様子をじっと見つめる。
「鬼の棟梁ともあろう者が、無力な女の子を苛めて楽しいのかしら」
「鬼…?」
ようやく咳が治まったは顔を上げて青年を見やる。
彼の纏う異質な雰囲気と、額にある角のような突起物は確かに鬼とも言えるだろうが、物語やイメージ上のおどろおどろしい鬼の姿とはかけ離れた美形な青年は、人間に見えた。
鬼と呼ばれた青年は視線だけで人を殺せるのではないか、というくらいの鋭さで睨む。
「貴様、何者だ?」
貴様と彼が言うのは自分の横にいる女性、叔母の月子のことか。
月子には申し訳ないと思いつつ、彼の視線が捉えているのが自分では無いことに少しだけ安堵した。
「私は、この子も、ただの人間の女ですよ?少しばかり物事を知っているだけの、ね。…このまま話をするのは落ち着かないでしょうから場所を移動しましょう。、お茶を淹れてくれる?」
にっこり、と微笑む月子は有無を言わせない無言の迫力に満ちていて、ついいつもの条件反射では頷いてしまった。
忙しい叔母はほとんど家に居ないし、自分以外の人間がリビングに居るなんて本当に久々で、こんな状況でなければ今朝焼いたばかりのパウンドケーキを出したいところだった。が、今リビングに流れる空気は緊張していてとても「ケーキ食べる?」なんて言い出せそうもない。
はお茶の準備をしながら横目でソファーに向い合せになって座る叔母と青年の様子をうかがっていた。
「私は月子と申します。この子は私の姪のです。若き鬼さん、貴方の名を教えていただけますか?」
緊張した空気など感じないのか、穏やかに聞く月子に青年は眉を寄せる。
「何故、俺が貴様に名乗る必要がある?」
案の定、苛立った様子の青年にの背筋に冷たいものが走る。危うく湯呑を落としそうになった。
「名を名乗るのは最低限の礼儀です。まさか、誇り高き鬼の棟梁である貴方が、そんなこともできないはずはないでしょうね?」
クスリと笑いながら小馬鹿にしたその言い方に、さらに青年の周囲の温度が下がる。
「…風間千景だ」
少しの間をおいて、青年は自身の名を口にした。