5.腹ぐ……いえなんでもないですB

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叔母に問われてから改めて考えてみると風間千景は優しい男だ。
徒歩五分のコンビニへ買い物に行くだけなのに「女の一人歩きは物騒だ」とか言ってついて来てくれるし、住宅街から直ぐ大通りに出ちゃえば明るい道だし遅い時間では無いから危険は無いだろうけど心遣いは有り難い。それにさり気なく道路側を歩いてくれるし荷物も持ってくれる。
ただ少し困るのは迷子になった以来、当然のように繋がれる手。
さらに繋いだ手は寒いからという理由で風間のダウンジャケットのポケットに入れられているのだ。
なんだかこれって恋人みたいだ、と思って恥ずかしくなったがそんなことは言えない。




「あ、雪?」

真っ黒な空を見上げて、はらりと眼鏡に張り付いたのは白い雪。
これは寒いはずだ。吐く息も白い。
チラチラと雪が舞い落ちてきた。まるで桜の花びらのように舞い落ちてアスファルトの道路積もることなく溶けて消える。


「春になると川沿いの桜が綺麗に咲くんです。雪だけど桜の花びらが舞っているみたい」

きっと桜が咲く頃には隣を歩く彼は居なくなっている。
春になってこの桜が咲いた時、一人で風間を思い出して寂しく思うのかな、と感傷的な気分になってきた。


「…早く帰るぞ。このままでは風邪をひく」

足を止めたは今は幹だけとなった桜の木を見つめたまま動かない。
と、突然、繋いでいた手のひらを離しは風間の方へ振り向く。


「あの、風間さんは鬼の頭領なんですよね?」

「ああ?」

「鬼って、人どう違うんですか?えっと角が生えてるとか意外に」

深刻そうな顔で何を言い出すのかと思えば鬼と人との違いについてとは。
何をいきなり、と言いかけて気が付く、彼女から鬼について聞かれたのは初めてだったことに。

「鬼は交わした約束は裏切らない。義理堅く同族を、血を重んじる。
しかし人間は打算的だ。嘘も平気で吐ける。狡猾で愚かしい。自分達と少しでも異なる者を受け入れないくせに、人間は同じ人間相手に平気で裏切るし損得勘定で動く。そして人間達は何度も同じ過ちを繰り返していく。俺は人間のそういった所は嫌いだ。
だが、馬鹿みたいに時勢に逆らって突っ走る奴もいた。…そいつ等は嫌いでは無かったな」

辛辣な言葉は風間が本心でそう思っている証拠で。何一つ包み隠さず言ってくれるから、は腹が立つより関心してしまった。


「愚か、かぁ…そうかもしれない。でも愚かで過ちを反省しながら繰り返してしまう、狡猾で臆病で…それが人間そのものなんですよね」

頭領という立場から常に全体を見渡して見ているのか、彼は鬼なのに人以上に人の事を理解しているのだろう。
人間と鬼は似ているようで異なる。彼は鬼であることに誇りを持っている。
ほんの少しだけ風間千景という鬼が分かった気がした。


俯いていたのに次の瞬間には笑みを浮かべて、くるくる表情を変えるを風間はじっと見詰める。
もう直、側に立つ彼女と離れるのだと思うと僅かに心が揺らいだ。

「…俺は直に元居た場所に戻るらしい」


“風間千景はもうすぐ元の時空に戻るわ”


感情の読めない表情のまま言う風間の声に重なって、つい最近聞いたばかりの月子の声が聞こえる。


「良かったじゃないですか」

一瞬の間の後発せられた、の必要以上の明るい声色に風間の瞳が怪訝そうに細められた。


「だって、故郷に帰ることが出来るんでしょ?やっぱり住み慣れた場所の方がいいだろうし、風間さんも頭領としてやることがいっぱいある。それに帰りを待っている人もいっぱいいるでしょ?だから帰れるなら良かったなと思って…」



「へっ?」

今、風間は自分の名前を呼んだか?
初めてと言っていいだろう事には戸惑い、何度も目を瞬かせた。


「か、風間さ…わっ」

手首を掴まれてそのまま引き寄せられれば、ぽすっと、簡単に身体ごと風間の胸の中に落ちた。


「そんな不細工な顔をして言われても本心からの言葉には聞こえぬが?」

不細工な顔とか言っている割には彼の声は優しい。
優しく頭を撫でるその手に、仕草に余計に胸が痛くなる。
どうしてこんなにも胸が痛くなるのか。
自分の本心は、一体何なのだろう?

「風間さんが居なくなったら、私、は…」

じんわりと涙腺が緩んでいくのが分かって、風間の胸に顔をうずめてしまいたい衝動を堪え、無理やり上を向く。
今の自分は相当不細工な顔になっているだろうけど。


「寂しい、です」

そうか。だからこんなにも胸が痛くなるのか。
そうだと、自覚してしまえば瞳からはポロポロと涙が零れ落ちる。


「可愛らしいことを言ってくれるな」

涙でぼやけた視界ではよく見えないが、フッと彼が笑った気配がした。

フレームに指をかけた風間が眼鏡を外す。逆の指先が頬を滑り落ちて顎先を持つ。
風間の顔が近づいてきて、そのまま二人の唇が重なった。
驚きに目を見開くが息をする暇も無いくらい僅かな間だけ触れて離れていく唇。
そっと瞳を閉じれば、今度は角度を変えて二度落とされる口付け。
何度も重なる度に、ひんやりと冷えた唇が徐々に熱を持っていって何も考えられなくなった。



恋愛経験の乏しいの内に生じた甘酸っぱくて苦しい感情の名前は…彼女はまだ分からないまま。








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