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― 速玉大社 祭祀の当日 ―
ガターン
「きゃあっ」
小走りに此方にやって来た奈々は、置いてあった唐櫛笥につまづき派手に転んでしまった。
「いたたたた…」
「大丈夫?!」
慌てて奈々の元へ行くと、彼女は半泣きになりながら足首を擦っていた。
捻った右足首は熱を持ち、見て直ぐにわかるくらいに腫れている。
「…転んだ時に捻ったみたいだね。大分腫れている」
この足では、例え応急処置として固定を施したとしても、歩くのもつらいだろう。
お母さんは奈々の捻挫の状態を見て、静かに判断を下す。
「この足では、今日の舞は無理ね」
「そんなぁ。大丈夫だって!」
「奈々、無理しないの!」
無理に立ち上がろうとする奈々を加奈が止める。
お母さんは奈々とを交互に見た後、神妙な顔付きで驚きの一言を言った。
「…、代わりを舞ってくれるかい?」
「えぇっ私が!?そんな大役は無理だよ」
首を横に振り、無理だと言うの目をじっと見つめる。
「あなたなら奈々の舞を知っている。大丈夫、舞えるわ」
急すぎて以外に他に代役を頼める者が居ない事もあり、結局押しきられてしまい舞う事になった。
* * * *
「舞いたい〜」と言ってごねる奈々をなだめながら、速玉大社にやってきた達は、神殿内の控えの間へ通された。
お母さんに手伝ってもらいながら、用意された舞装束に着替え、薄く白粉を塗り紅を引く。
支度が整っていく度に増していく緊張感をほぐそうと、何時もの癖で人さし指で眼鏡のフレームを上げようとして…
加奈に「コレは外さなきゃ駄目」と言われて、外していた事を思い出して苦笑した。
「、綺麗…」
「加奈も綺麗だって」
普段と違うお互いの雰囲気に、と加奈は顔を見合わせ照れ笑いを浮かべた。
「準備が整いましたので、舞手殿は此方へ」
「では、行ってきます。失敗しないように祈っていてね。あと奈々、無理しないでね」
「奈々、くれぐれも大人しくしていてね」
と加奈は奈々に念を押し、奉納舞の準備が整った事を伝えに来た神官に連れられて、舞台へと向かった。
神官達が奏でる楽にあわせ、紅葉舞散る中、二人の舞姫は時折視線を重ねながら秋の喜びを、豊穣への祈りを舞上げる。
色鮮やかな紅葉の中、白の舞装束が舞姫達の清らかな美しさを一層鮮やかに引き立てていた。
「なんと…」
「これは、また見事な舞だな…」
彼女達の美しさに、周りの者達から溜め息と称賛の声が漏れる。
舞台から少し離れた宴席に、二人をじっと見つめる奈々と母の姿があった。
「…姉さん…」
「ほら、私の読みは当たりだったでしょう?」
母親の問いに、奈々は嫉妬と羨望の混じった複雑な表情を浮かべつつ、頷いた。
横にいる娘に気付かれないように母は微笑む。
この想いがあれば。きっとこの娘は良い舞手となるだろう。
「また来年があるさ。それまで精進しないとね」
奈々の小さな肩をポンと軽く叩いた。
(…あっ…)
は自分達が舞う度に、神殿の空気が変化していくのに気が付いた。
キラキラと太陽とは違う光が煌めき、どこからかシャランという鈴の音が聴こえる。
同時に清らかで暖かい気配がする―…
(この気配は…舞を神々が喜んでくださっているの?)
祭祀の神官として、白と水色の神官装束を纏ったヒノエは、父親である堪快と共に舞台の側に座していた。
「加奈はともかくもこれほどの舞手だったとはなぁ」
へぇーと堪快が感嘆の呟きをもらす。
だが直ぐに含み笑いを浮かべた。
「しかし随分と熱が入ってるな。ありゃきっと、誰かを想いながら舞っているんだろうよ」
舞散る紅葉が彩るの横顔…
「…」
その横顔を見つめながら、ヒノエは双眸を細めた。
舞いながらは先日勝浦で聞いた噂話を思い出していた。
「戦況は…今のところ平氏が巻き返してきているらしい」
「だが…源頼朝が征夷将軍の院宣を受けたとか…」
(…平家の皆は、無事で…いるよね)
この舞いは、神に豊饒を祈り、五穀豊穣を感謝する舞。
案ずるのはお角違いだとわかっているが、それでも…彼等の無事を祈らずにはいられなかった。
(家津美御子命様、どうかお許しください)
そう思いながら、はソッと瞼を伏せた―…