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燃えるような紅や黄に色付いた木の葉も、今やすっかり落ちてしまい季節は冬に移り変わっていた。
そしてふと気が付けば師走の月、12月迎えていた―…
底冷えする京の冬の寒さに比べると、年間を通して温暖な熊野はとても過ごしやすい。
それでも海から吹き付ける風はさすがに冷たく、天気によっては火桶が必要な日もある。
今日は朝から曇り空で、太陽がまったく顔を出さない。
寒さにかじかんだ手を温めようと吐いた息も白くなる。
と加奈は濡れ縁に腰掛けながら、青墨色をした空を恨めしそうに見上げていた。
「この天気では洗濯物が乾かないわね」
「そうだね、朝からこんな天気じゃあテンション上がらないね」
こんな日は朝から気分も悪いが頭も痛くなる。
だがそんなことを言えば最後、無理矢理苦い薬湯を飲まされるのがオチだが。
「てんしょん?それも異国の言葉?」
加奈は“テンション”という耳慣れない言葉に対する好奇心で目を瞬かせた。
「そう、異国の言葉だよ。“その時の気分の高揚度”って意味かな?」
「へえーそうなの?高揚の度合いねぇ」
二人のこういった会話は、すでに日常的茶飯事の事となっていた。
てんしょんねぇ…そう呟くと加奈は立ち上がり、一伸びをした後、
「じゃあてんしょんを上げるために、白湯を煎れてくるね。、寒いから部屋の中に入った方がいいわよ?」
と小走りに濡れ縁を後にした。
濡れ縁に一人残されたは、再び空を仰ぐ。
熊野で過ごす日々は、現代での多忙な生活を何度も忘れさせてくれる程満ち足りていた。
しかし、今にも雨が落ちてきそうな青墨色の空は、まるで自分の心の中を写し出しているようで―…
こんな日は気分が落ち込んで、余計なことを考えてしまう。
(此方の世界に跳ばされてもう一年経ったんだ…。私は、何をしているのだろう?)
気が付けば、一つ歳を重ねていて…おかしな話だが、自分の誕生日なんてすっかり忘れていた。
師走の月12月、現代での仕事では期末試験・成績処理という重大な仕事があり、世間は冬の一大イベントであるクリスマスに浮かれている時期だろう。
この世界の暦は旧暦のため、正月の時期が現代とは少しだけずれている。
そのため、現代のような慌ただしさはまだ無いが。
あと一週間も経てば、人々は新年を迎える準備で走り回ることになるだろう。
(還ることができるのならば、還りたい。でも、還った時に私の居場所はそこにあるのだろうか?)
トリップした当初は、「還ること」を重要目標と考えていた。
でも、この世界に跳ばされて一年経った最近は…
時折、様々な「不安」が頭を過ぎるようになっていた。
“テンション”等の現代の言葉を口にするのも、恐らく無意識の不安から。そう思うと、自嘲気味な笑みが漏れる。
(何にせよ還るためには、この先の戦に関わらなければならない…年明けには宇治川の合戦…その後から戦が激化する。上手く事が進んでくれるかな…?いや、進ませる)
頬杖を突きながら、思案していると溜息ばかりが出た。
「何を百面相しているの?」
「うわっ」
急に声をかけられ変な声を出してしまった。
顔を横に向けると、台所へ行ったはずの加奈が、椀を乗せた盆を手に戻ってきていた。
「そんなに百面相していた?」
「そりゃもう、眉間にしわ寄せてね。はいこれ」
加奈から白湯が入った湯飲みを渡される。
湯気が立つ温かい白湯を一口含むと、蜂蜜が入れてあるのかほんのり甘い味が口腔内に広がり、少しだけ心が楽になった。
「為るようにしか成らない、か…」
呟いた言葉は、青墨色した冬空に吸い込まれていった。