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春特有の強い風が吹き、桜の木に僅かに残った花びらが煽られ散る。
「今日はいいのかい?」
「ごめんね、今日はのんびり過ごしたいの」
玄関先で見送るをヒノエはじっと見詰める。
「…なぁに?」
「…いや。じゃあ行って来るよ」
ヒノエが近づいて来たため、身を引こうとするがそれより速く後頭部に手を回されてしまう。
サラリと額にヒノエの深紅の髪と吐息を感じ…
「行って来ます」
チュッ と音を立ててヒノエの唇が離れた。
「もぉ〜行ってらっしゃいって言いそびれちゃったじゃない」
後に残されたは赤い顔をしながら、額を押さえて頬をぷぅと膨らませた。
毎度の事ながらヒノエのこの“行って来ますのおでこのキス”には慣れない。
(っていうか、美少年から“ちゅっ”なんて慣れるわけないじゃない)
未だにバクバク乱れる心臓の鼓動が動揺を物語っていた。
* * * *
屋敷に残ったは暫く濡れ縁でひなたぼっこをしていたが、頬を凪ぐ心地良い風に思わず目を細めた。
「こんないい日は外に出掛けたら気持ちいいだろうなぁ。よしっ」
「女人が一人で出歩くなどと危のうございます」
使用人の女性にそう言われたが、は大丈夫だからと一人で出かける事にした。
…屋敷に残って居ても上げ膳据え膳で、正直申し訳無い気分になるから。
至る所で花々が咲き乱れ春風が仄かな花の香りを運んでくる。
道行く人々の表情も心なしか明るく見えた。
「よしよし。お前は可愛いヤツだね〜」
暖かい日差しの中、民家の軒先で昼寝をする猫を撫でていると…
「よお」
「うっわぁ」
後ろから声を掛けられ、驚きながら振り向くと…蒼髪長身の青年が片手を上げていた。
「悪ぃ、驚かせちまって。こんな所で会うなんて珍しいな。お前一人かよ?」
「あーびっくりした…将臣君こそ一人でどうしたの?」
「皆で買い物に出たんだけどさ、望美達は長えしちょっと息抜きに抜け出して来た」
ウンザリした将臣の様子に、望美と朔、二人の買い物に振り回される八葉達の姿が想像できて吹き出しそうにならった。
「でも抜け出してくるなんていいの?」
「まぁ大丈夫だろ?」
「本当に〜?…じゃあさ、たまには一緒にブラブラしない?」
「おう、いいぜ」
将臣と再会してからゆっくりと話す機会も無く、いつか話をしたいと思っていたのだ。
「そこの旦那さん、奥さんに綺麗な着物でも見繕ってやったらどうだい?」
前を通り過ぎる際に言われた露天商の勘違いした発言に、二人は顔を見合わせた。
「将臣君、旦那さんだって」
「ああ、俺らぐらいの年じゃ結婚していても変じゃ無いからな」
確かに此処では、将臣やくらいの年齢では結婚して子どもがいてもおかしくは無い。
は悪戯っぽく笑いながら将臣を見上げた。
「では、今だけ仮面夫婦になりましょうか?」
「はぁ〜仮面夫婦っ?何だそりゃ」
は呆れ顔の将臣の腕に自分の腕を絡ませる。
これで完璧に、端から見れば仲むつましい夫婦か恋人同士に見えるだろう。
「何かドキドキするね」
ハシャぐとは違い将臣はハァと宙を仰いだ。
「こんな姿を誰かに見られたら殴られそうだな…」
「何か言った?」
「いや何でも無い。じゃ、行こうぜ俺の“奥方”さん?」
* * * *
ほんの数日前まで盛りを迎えていた桜の花もほとんどが散り、青々とした葉が残された僅かな花の間から覗いていた。
もう直ぐ桜の時期は終わり、代わりにハナミズキが咲き始めるだろう。
「もう桜も終わりだね」
「ああ、そうだな」
の言葉に将臣も散りゆく桜に視線をうつす。
あっという間に春は終わるだろう。
それは一時的な平穏な時間も終わりを迎える事を意味していた。
(この後、少ししたら戦になる)
そっと絡めていた腕を離し、隣に居る将臣を見上げてみる。
数ヶ月しか会わなかったはずなのに…再会した彼は以前よりずっと精悍な顔付きになっていた。
それだけに彼がどれだけ苦労を重ねてきたのかがわかる。
「?」
「…将臣君が無事で、また会えて良かった」
真っ直ぐに見つめてくるの髪についた桜の花びらに将臣は手を伸ばし取ると、花びらは風に吹かれ空を舞う。
「何とか生き延びてるぜ。今はな…そうだ、あいつも…知盛も元気だぜ?」
その名には瞳を大きく開いて将臣を見るが、直ぐに横に視線を逸らした。
「…そっか…」
一瞬の迷いの後、二の次を告げようとは顔を上げる。
「ねぇ将臣く…」
「あれは…」
突然眉間に皺を寄せ、厳しい表情になる将臣。
「どうしたの?」
将臣の視線の方向を見ると…そこには遠目からでもゴロツキだとわかる数人の男が固まっていた。
誰かを集団で囲んでかつあげでもしているのか?
「まさか…チィッ!」
言い放つやいなや将臣は駆け出した。
「将臣君待っ…あっ」
男達の間から彼等に囲まれている者の紫紺色の衣が見えてはハッと気が付く。
よく目を凝らせば男達の合間から取り囲まれているのが少年と女性、尼僧であるのがわかった。
(まさか…あそこにいるのは)
それならば将臣が血相を変える筈だ。
も後を追って走り出した。