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穏やかな桜の季節はとうに過ぎ去り、再び戦の気配が近付いてきていた。
「はぁ!?」
朝の準備に慌ただしい屋敷に、いささか素っ頓狂な声がこだまする。
「だから私も付いて行くって言ってるの」
「、お前本気で言ってるのか!?」
引き下がらないに呆れ顔のヒノエ。それはそうだろう、戦に女が同行するなどと稀な事なのだ。
「前線に出るとは言っていないよ。ただ…一人だけ安全圏内に残るのは嫌なの」
「はぁ……駄目って言ってもついて来る気なんだろ?」
「もちろん」
「…わかったよ」
自分を見つめる視線に、揺らがない強い意思を感じて苦笑いを浮かべる。
「ただし、無理をしない事が条件だよ」
は頷くとヒノエの小指に自分の小指を絡ませ「約束」の指切りを交わした。
京屋敷へ赴くと、案の定九郎は目を見開いた。
「お前も一緒に来るだと!?」
「九郎君、邪魔にならないようにするから」
「しかしなぁ…」
頼み込むが九郎はなかなか首を縦に振らない。
兄弟弟子で白龍の神子の望美や黒龍の神子である朔は、怨霊を鎮めるという大義名分があるが彼女にはそれは無い。
「九郎、は強い」
「先生…わかりました」
先ほどまでの渋面が嘘のように、リズヴァーンの言葉に今度はすんなりと了承した。
だが望美は固い表情をしたまま何度となく聞く。
「さん…いいの?」
「うん。少しはみんなの役に立ちたいと思って」
その気持ちに偽りは無い。
だが戦に同行したいもう一つの理由は…
「…清房様にもし、もし会えたら…伝えて欲しいことがあるの」
熊野から京へ発つ前日の晩、瞳を潤ませながら奈々が言葉にした想い。
それは、熊野に越してからずっと心に押し込めていただろう想いだった。
…史実では平清房はこの戦で命を落とす。
この世界では、それが事実になるのか異なるのかはわからない。
(それでも、彼女の想いは出来るものなら…伝えてあげたい)
ギュッと手のひらを握り締めた。
「さん?」
「ううん、何でも無い。頑張ろうね」
* * * *
三草山の麓に築かれた源氏の本陣にて、数人の兵士と共に約束通りは待機をしていた。
夕暮れの暗闇に、目を凝らするが星はまだ見えない。
(向かったのは三草山か、福原攻めか…)
緊迫した軍議の最中は蚊帳の外だったため、九郎達がどんな選択をしたのかわからない。
「心配には及びませんよ。直に吉報を持ち帰って来られるでしょう」
若い兵士が気を使い、幾度と無くそう言ってくれたのだが、は複雑な表情を崩せなかった。
月が空の一番高いところを過ぎる夜半、ようやく青い布に仕切られた陣幕の中、野宿用の厚手の掛布に包まる。
しかし、緊張感のためかなかなか寝付くことができない。
姿勢を変えてみたり、羊を数えてみたりしたが…イライラしてしまって余計頭が冴えてくる。
眠るのを諦め、溜め息を吐くとは体を起こした。
乱れた髪を掻き揚げ、気分転換に外に出ようかと眼鏡に手をかけようとするが…
ピリッ
一瞬、空気が震えた気がして反射的に手を引っ込めた。
(何かが…何かが此処へと、近付いて来る?)
早く誰かに知らせなければ。急ぎ眼鏡をかけ、上掛けを羽織るとは陣幕の外へ飛び出した。
「誰か!?」
「どうしました?」
血相を変えて陣幕から飛び出して来たに、若い兵士は驚き駆け寄る。
この感覚を何と説明するべきか解らない。
だが、伝えなければ。
その思いで兵士に事情を説明しようと口を開くが…
「ああっ間に合わないっ!!」
瞬間、両耳を塞ぎながら天を仰いだ。
うわぁぁぁー!!
何かが壊れる音。上がる悲鳴。
「敵襲ー!!」
バタバタと、武具を手に取りながら走り回る兵士達に若い兵士の顔色はみるみる間に変わっていく。
「何だと!?」
「本軍がいない隙にっ」
「還内府の策か!?」
飛び交う悲鳴や怒声。
初めて体験する混乱する陣内で、戸惑い泣き出しそうになるの腕を若い兵士が強く引く。
「殿こちらへ!」
「で、でも…」
自分だけ守られ逃げる何てできない。混乱する陣内を後ろ髪を引かれる思いで振り返る。
そんなの腕を兵士は強い力で引く。
「早よう!!」
彼に引きずるように腕を引かれ、あと少しで陣の外に出るという時…
「くそっ」
二人組の平家の兵士に見つかってしまった。