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「おやすみ…」

目を細めて天を仰ぎながら、浄化された怨霊兵達が柔らかな風と共に光の粒となって昇って逝くのを見送っていた。

「ふぅ…」

兵達の気配が消えた後、ようやく全身から力が抜けて表情が緩んでいく。

だが…

「えっ…?」

安堵したのは一瞬だけだった。
余韻に浸る間も無く、の顔に浮かぶのは安堵では無く「驚き」と「苦痛」だった。
は地に放ったままの太刀を急いで拾い上げて走り出した。

「…急がなきゃ!」

昨夜から酷使し続けた体が軋み、鈍い痛みを訴える。
足がもつれて転びそうになるが、立ち止まる訳にはいかない。

(急がなければ間に合わない)

その思いで体を奮い立たせる。もはや足を動かしているのは気力だけだった。


「望美ちゃんはこの運命を選んだんだ…」

走りながら、ぎゅっと眉間に皺を寄せる。
そう、気配が消える間際に浄化された“彼等”が教えてくれた。

それは―…

「福原…攻め」







* * * *






生田神社へと続く鬱蒼した森は、今まさに戦禍に呑まれようとしていた。
辺りに響くのは兵達の太刀を交える音、雄叫び、そして悲鳴―…

「清房様!!此処はもう危のうございます!早よう退かなければ…」

部下の進言に、平家の色である赤い甲冑を身に纏った若武者は首を横に振る。

「駄目だ!先ずは兄上達の退路を守らなければいけない!!」

予想だにしなかった源氏からの福原への襲撃に合い、清房は此処、生田で一門の退路を守るために奔走していた。
自分を含め兵達が疲弊しきっているのは十二分にわかっている。
これが不毛な戦だと言うことも…だがこの場では、自分の命より何より帝を逃がすこと、一門と兄達の命が最優先だった。
…守りが手薄になっていた福原はもう陥落したも同然だろう。

「ふっ、この戦…負けるな…」

清房は、どこか遠くを見つめながらポツリと呟いた。



「何奴!?」

物陰から急に飛び出してきたに、近くにいた兵は驚きの声を上げる。
騒ぐ兵達に目もくれず、清房の側に駆け出そうとしたが…ガッチリと、肩を掴まれ押さえられてしまった。

「清房君!!」

もがきながら叫びに近い声で彼の名を呼ぶ。

「なっ……殿!?」

声に気が付いた赤髪の少年は、驚きと困惑した表情を浮かべながらのもとへ駆け寄る。

殿、何故此処に!?」

清房が押さえつける兵に手を放すように命じ、ようやく解放された。
押さえつけられた肩がズキズキ痛み、兵に文句の一言でも言いたくなる。
が、清房の無事な姿を目にしてそんな事は吹き飛んだ。

「良かった…会えた。怪我はありませんか?」

「何を…何をあなたはやっているのです!早く此処を離れてください。…すぐ兵に安全な場所までお連れします」

兵に指示を出そうとする清房の衣を掴む。

「待ってください。此処には、奈々からの伝言を伝えに来たんです」

「っ奈々、からの…?」

驚き、こちらを振り返る清房の目を見つめる。

「そう…奈々からの伝言を君に伝えたくて…」





― もし、もし清房様に会えたなら ―…

熊野を発つ前夜、俯きながら奈々から託された想い。


「伝えて欲しい事があるの…」

「あなたが同じ大空を見上げている、風を感じているそう思うだけで私は幸せです。だから…」

…暫く考えた後、紡がれた言葉はきっと本心だろう。

「生きる事を諦め無いでください」

月明かりが逆光だったため、彼女の表情は見えない。
だが、その声と肩は微かに震えていた―…




「彼女が、そんな事を……」

の話を聞き、苦そうに瞼を閉じる。

「清房君…」

暫くそうした後、彼はゆっくりと顔をあげた。


殿…私からも頼んでも宜しいでしょうか?」

「頼み?」

「…私の事は忘れていいから、幸せになって欲しい。……と、奈々に伝えてくださいますか?」

「忘れて、って何よ…幸せになってって…生きて、自分で伝えなさいよ」

君が奈々を幸せにはしてあげないの?そう問えば、清房は寂しそうに微笑むのみ。
それを見て、胸がツキンと痛む。ああ…彼は本当に奈々の事を愛していたんだ…


「私は此処で源氏を食い止めています…よろしくお願いします」

「清房君…君は……」

死ぬつもりなの…?喉の奥で止まり、声に出せなかった言葉を彼は汲み取ったのかやんわりと微笑む。


殿。知盛兄上は、この先にいらっしゃいます」

不意に言われ、はハッと顔を上げる。生田の戦には“彼”は来ているだろうけれど…

「どうして、それを私に?」

「さあ、何故と言われても…貴女に伝えたいと思ったから、でしょうか」

清房は深々と頭を下げた。

「兄上を、奈々を…よろしくお願いします」

揺るがない決意を秘めた彼の姿に、何も言えなくなって…
は頷くと清房に背を向けて歩き出した。
一度だけ振り返り見た彼の悲しげな、しかし満足そうな笑みに目頭が熱くなったが唇を切れる程噛み、堪える。

どうか、どうか、彼が生き延びる事が出来ますように。
例え来世でも…再び二人が幸せに出逢えますように…

そう、祈らずにはいられなかった。