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(何故、私は走っているんだろう?)

暗く鬱蒼とした森…兵達の魂が安全な道を導いてくれているとはいえ…
辺りには血と屍、負の感情が入り乱れる戦場は恐怖でしかない。

昨夜からの出来事で感情が麻痺してきたのだろうか。清房の言葉は無視する事もできたはず。
混乱する戦場を抜けて、早く源氏軍と合流しなければ自分の命が危険になるとわかっていたのに…
の足は何故か其処へと向かってしまった。





それはまさに圧倒する光景だった。

「ぐわあぁぁ」

「ぎゃあ」

豪奢な金と紅の鎧に身を包んだ銀髪の武将が寸分の隙も無く双刀を振るう。
次々と雑兵を切り捨て、銀髪の武将、平知盛は口角をつり上げる。


「…あっ…」

生田の森を駆け抜け、の視界に飛び込んできたのは…血に染まる双刀を手にしたう銀髪の青年。
遠目からでも感じる事ができた、抜き身の刃の如く鋭い彼の気配。
妖しく笑いながら太刀を振るう、その姿は場違いな程……美しかった。

(綺麗…)

ばしゃりっ…

血溜まりに足を取られそうになりながらも、ゆっくりとは知盛に歩み寄った。
策も何も考えず無防備に近づいたのは…血に染まる彼の姿に、剣技に、魅せられてしまったせいかもしれない。



知盛は近づく気配に、振り返り双刀を―…

「!?」

紅く染まる刃の届く先にの姿を認めると、知盛の紫紺の瞳が驚きに見開かれる。


「…っつ…」

間一髪、太刀はの首筋を切り裂く寸前で止められた。
刃に触れた黒髪が、数本ハラリと宙を舞う。

「お前は…」

知盛は思わず、馬鹿な、と呟いた。
今自分の目の前に居るのは、此処に居るはずの無い女。
太刀を喉元に突き付けているためか、強張った表情で浅い呼吸を繰り返しているが…何故この女が此処に居るのだ。

ゆっくりとの首筋から下ろされる刃。
血に染まり紅く光る刀身に、強張った表情をした自分の姿が一瞬映り、今の状態に気が付いた。
…知盛が刀を止めるのが一瞬遅かったら…斬られていた…
そう思うと小刻みに震えだす体。
バクバクと早鐘を打つ心臓を落ち着かせようとゆっくり息を吐く。

「…知盛殿」

何度目かの深呼吸の後、ようやく発せた言葉は微かに震えていた。

「…急いで退いてください」

だが、知盛はに鋭い視線を投げかけた。

「…何故、お前が此処にいる?」

「答えろ」

そんな事を言われも、自分でも解る筈も無くて。

「さぁ…何故か、なんてわからない……ただ、清房君があなたの退路を守るって……これ以上誰も傷付いて欲しくなくて…あなたに早く退いて欲しくて…」

途切れ途切れで紡がれるの言葉に、知盛はクツリと喉を鳴らす。
目前に立つ女は、以前に比べると少し痩せた気がするが、真っ直ぐに自分を見つめる眼差しは変わらない。
いや、それ以上か…

「クク、いい女になったな…」

「はぁ?」

いきなり訳が解らない事を言われて、間の抜けた声を出してしまった。
…相変わらず彼の言葉は理解不能だ。

「クッ…お前は、そんなことを伝えに、わざわざ戦場を駆けて来たというのか?」

「そんなことってっ!」

どうでもいい事だ、と言われた気がして頭に血が上り知盛を睨み付けた。
とうに震えなど止まっている。
心地良い眼差しに、知盛はクツクツと愉し気に喉を鳴らす。

「…だが、妬けるなぁ。清房のためか…それとも…クク、俺に焦がれて此処まで来たのか…?」

「はぁ?な、何言ってるの!?」

思わずアナタそれは自意識過剰ですよ、とツッコミを入れたくなってしまう。

「だが…女が一人このような戦場にまで来るとは…その意味を、お前は解っているのか?」

「意味?」

言っている意味が解らず首を傾げると、知盛は双眸を細めた。

「…知らぬというならば…教えてやろうか…?」

すっ、とに伸ばされる腕…

その指先が頬に触れようとした時、遠くから駆けて来るけたたましい蹄の音が聞こえ―



っ!!」


ギィンッ!


いつの間にか知盛は抜刀した太刀で投げつけられた小刀が弾く。


ざっ

のすぐ横へ馬上から飛び降りたのは、紅い髪の少年。


「ヒノエ君!?」

「悪いけど、こいつに触れないでもらいたいな」

驚くの手を引き、自分の背中に隠すように二人の間にヒノエが立つと、知盛の片眉がピクン、と上がった。

「ほぅ…?面白いことを言ってくれる」

「平家の大将、平知盛殿とあろう者が戦場で女を虐めて愉しいわけ?」

「クッでは、お前が俺の相手をすると…?」

武器を構える二人から発せられる緊張感で、ビリビリと空気が張り詰めていく。
体を動かそうとする事はおろか、息をする事さえつらい。





「知盛様、源氏軍がすぐ其処まで!」

「チッ、時間切れか…」

知盛は心底残念そうに、太刀を鞘に納めながら構えを解かないヒノエを見て、口の端をつり上げた。

「…知盛殿…」

「残念だが…まあいい。次の逢瀬を楽しみにしているぜ?」

口の端を吊り上げ、いつもの笑みを浮かべると知盛は足早にその場から立ち去って行った。