BACK INDEX NEXT

52

瀞八丁に着くと其処には敷布が敷かれ、後白河院一行と思われる雅な身なりをした貴族達が観光を楽しんでいる。


「なんつーか、呑気なもんだな」

「おい…神子殿、本当にあの中に怨霊がいるのか?」

涼を楽しんでいる後白河院一行にはあまりに平和すぎる空気が漂っていた。
とても怨霊が側に居るなどとは思えない。


「あの女の人…ほら、法王様の右隣にいる人。あの人が怨霊なのよ」

望美がそう指差したのは、後白河院の傍らで笑みを浮かべている妖艶な美女。
一見したら普通の人間。今まで戦ってきた鬼や妖怪のような怨霊とは全く異なる。
だがの目には、女が内包するまがまがしいまでのオーラが見えていた。
後白河院はよく彼女を側に置けるものだ。良い度胸をしていると感服してしまう。

「普通の女性に見えるけど、間違いなく彼女が怨霊なの。水を操る…熊野川を氾濫させている怨霊」

「だがよ、参ったな…迂闊に手が出せねえぞ」

将臣の言うとおり、後白河院といえば現在この国で一番の権限を持った人物。
そんな人物の前に「この人怨霊なんです」と言って戦うことなんて無茶苦茶すぎる。
この無礼者!とかなんとか言って捕まってしまうかもしれない。
平家の二人と居るだけで捕らえられても文句は言えないだろう。

物陰で三人で案を練っていると、知盛が一人ですたすたと後白河院の方へ歩いて行った。



「おい、知盛何する気…」

「まさか…」

彼はゲームと同じ行動をするのでは…立ち上がりかけて、望美に止められる。

「ここは知盛に任せてみようよ。もしかしたらなんとかなるかも」

「望美ちゃんが…そういうなら」

「ああ案外何とかなるかもな」


将臣もそう頷いて、様子を黙って見守る事にした。
知盛は彼の登場に驚き、ざわめく集団を一瞥して黙らせると、彼等の中心にいる上物の衣を纏った血色の良い初老の僧に一礼した。


「お久しぶりでございますね、院」

「おお…これは中納言、旅先でそなたに会えるとは何より。広い熊野でこうして巡り会えるとは、実に奇遇よの」

ほっほっほ、と後白河院は呑気に笑って、再会を喜んでいるようだ。
知盛も信じられないくらい上品な笑みを浮かべる。
二人ともなんてまぁ胡散臭い。
後白河院は狸と聞いていたが相当な狸爺のようだ。


将臣と望美は不安そうな顔をして二人のやりとりを見つめ、は普段の気だるそうな彼とは違う優雅な立ち振る舞いに驚いていた。

「法皇様、そちらの公達は?」

美しい女性に化けた怨霊が艶やかな笑みを知盛を向ける。

(うっ…)

彼女が艶やかに笑う度に放つ陰気が濃くなる。
陰気が肺を刺激して息苦しい。
毒のような陰気に見ていられなくなり、は顔を逸らしてしまった。




「きゃああああ!!」


「「「!?」」」

絶叫、女の悲鳴が聞こえた。
と、同時に何かを切り裂く斬撃の音。

――知盛が目にも止まらぬ速さで太刀を抜き、女に斬りつけたのだ。
乱心ともとれる彼の行動に、白河院だけでなく周りの者も驚き悲鳴を上げて逃げ出す者さえいる。


(やっぱり…やったか)

予想をしていた行動とはいえ、愉しそうに笑いながらいきなり斬りつけるなんて、ナンセンス、変態だ。


「やっぱこうなるのかよ!」

将臣が大太刀の柄に手をかけながら走り出す。

「あの馬鹿!」

望美が走っていったのをきっかけに、も駆け出した。




知盛のすぐ後ろまで駆けつけると、血を流した女が先程まで浮かべていた妖艶な笑みは消え、鬼のような形相で知盛を睨み付けていた。

「院の前で狼藉を働くとは…。お、己…。貴様。それでも人間の…しかも公卿なのか!?」

女の周りに抑えていた陰気とともに歪んだ空気が溢れて、その場の雰囲気が一気に変わった。
ぐちゃり、べちゃべちゃと肉を裂く嫌な音を立てながら、人間の姿だったはずの女は疣だらけの巨大なカエルのような怨霊に変化していく。
怨霊は、その口元から出ている舌でベロリと自身の顔を舐めた。


(気持ち悪いっ)

爬虫類はそこまで苦手では無いが、はこみ上げてくる生理的な気持ちの悪さに鳥肌が立つのを感じた。

「ちっ、こういう展開になると思ったぜ」

「クッ、わかりやすくて良いだろう?」

将臣は溜め息混じりに太刀を構えると、からかうような口振りの知盛の横に並ぶ。

「法王様!早く逃げてください!!」

「おお…そなたは白龍の神子。うむ、わかった任せるぞ」

お付きの者に手を引かれて、後白河院はこの場から離れて行った。

「みんな!行くよ!!」



目の前で、自分や幼なじみを庇うように立つ将臣の広い背を見て、舞うように剣を振るう望美の姿に戦闘中だというのに胸が苦しくなった。
彼等は高校生なのに…本来なら戦いなど知らなくてもいいはず。


さん!」

切羽詰まった望美の声に我に返ると、眼前まで口を大きく開けた怨霊が迫っていた。
身体が頭に付いていかず、回避動作が遅れてしまう。

【殺してやる…!】

怨霊は忌々しく叫ぶと、口内に収束させた陰気をに向かって吐き出した。


(ダメッ避けきれない!?)

覚悟を決めて目を瞑って身構えるが、衝撃波は襲ってはこなかった。


「クッ、戦場で呆けるとは余裕だな」

瞼を開けると見えたのは怨霊では無くて…知盛の広い背中。
いつの間にかの前に現れた彼に庇われたのだ。

「あっ…ありが…」

ありがとう、そう伝える前に彼は息も絶え絶えな怨霊に斬り込んで行った。





望美が怨霊を封印し終えると、彼女は安堵の表情を浮かべながら後白河院一行にその事を伝える。
後白河院を前にしても、臆する事のない凛々しい姿にやはり彼女は白龍の神子なんだ、と納得してしまう。
望美の側へ行こうと足を踏み出すが、ぐいと右腕を引っ張られた。
驚いて顔を上げるとそこには無表情の知盛がいた。
何事だ、と口を開こうとしたら、そのまま腕を引かれて望美達から離れていってしまう。


「もうここにいる意味はない」

「で、でも法王様にご挨拶しなくていいの?」

いくら退いたとはいえ、後白河院は以前仕えていた相手。無礼では無いのだろうか。

「挨拶は神子殿と有川がしているだろう…面倒な事になる前に離れるぞ」

「でも、二人に押し付けるのは悪い…て、ちょっと」

主張は聞き入れてもらえず、知盛に腕を掴まれ半ば強引にその場を離れた。
先程の礼を言いたかったのにこんな態度をとられては、礼を言う気が失せてしまう。







* * * *






瀞八丁から少し離れた所まで来て、ようやく知盛は腕を放した。
掴まれた箇所がジンジンと痛むから、指の痕が付いてしまったかもしれない。


危なかったな」

少し遅れてやって来た将臣の言葉に首を傾げる。

「さっき後白河院がさ、お前の事やらしい目で見ていたんだよ。あの爺さんに気にいられたらいろいろ面倒だからなー」

「それじゃあ…」

急いで瀞八丁から離れたのはそのため…?
ゆっくりと振り返り、後方で木に寄りかかっていた知盛を見る。
視線に気が付いた彼が顔を上げた。


「ありがとう…」

「…どう致しまして」

礼を言うのが少し気恥ずかしくて、はにかみながら言うと知盛はクツリと喉をならした。