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すっかり酔いつぶれてしまった望美を将臣とが隣の部屋に運び、敷布を敷いて彼女の身体を横たえた。
「将臣君ありがとう。あとはやっておくね」
「ああ悪ぃな」
将臣が出て行った襖が閉まるのを確認すると、望美が着ている小袖を脱がし、楽に呼吸が出来るように襦袢の合わせと腰紐を緩めてやる。
お腹が冷えないように掛布を掛けると、彼女はむにゃむにゃ可愛らしく口元を動かした。
「好きな人かぁ……」
月明かりが仄かに差し込む室内には規則正しい寝息が聞こえる。
ヒノエからの好意に気付かない程自分は鈍くは無い。正直、彼の真剣な眼差しに心は揺れる。でも彼は八葉なのだ。
…それに…
「恋愛は…もう懲り懲りなんだよ。それに私はイレギュラーなんだし」
そう、自分に言い聞かせるように呟いた。
「ねぇ、望美ちゃんは誰が好きなの?どんな結末に進もうとしているの?」
乱れてしまった望美の長い紫苑色の髪を手櫛で整えてやる。
きっとこの先に待っているのは壇ノ浦…とうの昔に和議は成されない事は決定し、多くの命が海に散る。
この運命では彼女は誰を救おうとしているのか。
問いかけに答えは返ってこない。少女は規則正しい寝息をたてるのみ。
紫苑の長い髪はサラサラと指の間を滑り落ちていった。
酒を酌み交わしていた隣の部屋に戻ると、そこには開け放った窓から月を眺めて一人酒を飲む知盛の姿。
月明かりに照らされた彼の姿に一瞬目を奪われてしまった。
「…どうした?」
貴方の姿に見惚れてましたなんて言えない。慌てて部屋を見渡す。
「えっと、将臣君は?」
「有川なら、風呂に行った」
彼はあまり酔っていなかったが、あれだけ酒を飲んだ後なのに風呂に入って大丈夫だろうか。
余計な心配をしていると、知盛が手酌で自分の盃を満たしているのが見えた。
知盛の横に腰掛けると、床に置かれた酒壷に手を伸ばす。
「お酌するね」
とくとくとく…
知盛は盃に注がれる酒を無言のまま見詰めていた。
「そういえば、こうやってお酌するのも久しぶりだね」
「ああ…」
こうやって彼とゆっくり話をするなんてどれくらいぶりだろうか。
平家が六波羅に居た頃だから…もう一年以上前か。
空になった盃に二度酒を注ごうとして、の手を酒壷ごと知盛の大きな手のひらが包む。
「知盛殿?」
「…お前は月のようだな。誰に媚びる事なく、日光のように強くは無いが多くの者を惹きつける気高い光を放っている…」
「え?」
「…だが、」
急に引き寄せられる。
至近距離に知盛の吐息と床の感触を感じて…
視界の隅に天井が見えて、ようやく彼に押し倒されている事に気が付いた。
手を離れた酒壷が床に転がり、こぼれた酒が床に小さな水たまりを作る。
床に染みを作る前に早く拾わなきゃ、回らない頭でそう思った。
「な、にを…」
酔っているの?離して、そう言うつもりだった。
だが、熱を帯びた紫紺の瞳に魅入られてしまい、抵抗する気力が奪われていく。
彼の眼差しに言いようのない情欲が湧いているのを感じ、本能的に逃れようとするが頬に添えられた優しい手に…
身体が脳が麻痺してしまう。
「俺は、お前が欲しい…」
互いの吐息を感じ、唇が触れ合うまであと数ミリ…
ガラッ
「おい知盛、お前も風呂に…」
「ああ」
視線はに向けたまま、平然と答える知盛。
「…悪ィ」
将臣は目を見開いたが、状況を理解すると襖を閉めて出て行った。
一気に脳が覚醒していく。と、同時に頬がカァーと熱を持つ。
渾身の力を込めて知盛の身体を押し、彼の下から抜け出して叫んだ。
「将臣君、ちょっと待って!」
(危ない危ない…流されてしまうところだった。…でも、もう少しくらい)
そう思ってしまう自分に少しだけ焦った夜だった―…