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「ごめんなさい……先に戻っていますね」
泣き続け、ようやく落ち着きを取り戻した望美は一言謝ると、駆け足でその場を後にしていった。
「わたし、どうしたら、良かったんだろう…」
残されたはぼんやりと静かな海を眺め続けていた。
すっかり太陽は水平線の向こうへと沈み、辺りは薄暗くなりつつある。
辺りが暗闇に包まれる前に早く宿に戻らなければならない。
頭では理解していたが地に足が縫い止められてしまったように動けなかった。
さく、さく、さく…
砂浜を大幅で歩く足音が近付いて来る。
真っ直ぐにこちらへやって来るのが誰なのか、顔を上げなくても気配でわかった。
「…何でこんな時に来ちゃうかな?」
どうして彼が此処に来るのだろうか?全くもってタイミングが悪すぎる。
今一番会いたくないと思っていた相手なのに。
…否、もしかしたら会いたかったのかもしれない。
「クッ、随分な言われようだな」
喉の奥で笑う音が聞こえたから、きっと彼はいつもと同じ皮肉げな笑みを浮かべた事だろう。
このままの座り込んだ格好では失礼だとわかっていたが…今の自分は涙でぐしゃぐしゃの酷い顔をしているだろうから、みっともなくて顔を上げる事が出来ない。
泣いていたのを知られたくなくて、はさらに膝に顔をうずめた。
「ずっと…ずっと、この世界は違うって思っていたの。私にとっての現実とは違うって…今まで、まるで長い夢をみている気分だった」
思い浮かぶのはテレビ越しで見ていたゲーム画面。
その中では怨霊だろうが人間だろうが“戦闘”の名目で命を奪うことに躊躇はしなかった。
それどころか、人の生死を決める場面でさえボタン一つでスキップさせていた。
二次元だった世界が三次元になった時、夢の中に居るような不思議な気分でいたのだ。
目の前で繰り広げられていることは現実なはずなのに。
「いつか自分は元の世界に戻るんだって、だから関わってはいけない、流れの枠からはみ出たらいけないって思っていたの」
話の流れを知る自分が関われば、いくらでも運命は変わっていただろう。
自惚れとも過大評価かもしれないが、もしかしたら戦がここまで泥沼化しなかったかもしれない。
俯いたまま淡々と話すを、知盛は無表情で見下ろしていた。
「でも、今この世界で起こっている事は現実で…ただ、私は目を逸らしているだけだって……年下の女の子に言われて、ようやくその事に気付くなんて」
顔を上げ、自嘲気味な笑みを浮かべて前方の海を見詰めた。
「ふふ、本当に私はどうしようもないくらい愚かだね…」
さく、さく…
の横に知盛が歩み寄る。
「…愚かで有ろうと無かろうと、お前はその事に気が付いたのだろう?」
(不思議だ…落ち着く…)
耳に心地良い低く、静かな彼の声が全身に染み渡っていく気がした。
はゆっくりと立ち上がると、知盛を見上げる。
涙はもう止まっていたが、瞼が腫れて重たくなっているのを感じた。
「ねぇ、“生きて”って泣いて縋りつけば貴方は生きてくれる?…生に執着してくれる?」
「クッ…愚問だな。俺がそのような情に深い男だと思うか?」
ああ、そうだった。彼は情に流されるような男では無かった。
それでもほんの少しでいい、彼の心に残ってくれればいい。
「うん、そうだったね。…それでも、私は貴方に生きてほしいの…」
素直な気持ちは、自分でも驚くくらいの甘えた声となって口をついて出た。
…彼に甘えるのは初めてかもしれない。
知盛は感情の読めない瞳で、無言のままの頬に手のひらを添えた。
添えられた手のひらから彼の温もりが伝わってきて再び緩みだす涙腺。
溢れ出そうな涙を堪えずに、はゆっくり瞳を閉じた。