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季節はすでに冬。加茂川からの冷たい風と盆地特有の冷え込みが厳しくなってきた頃だというのに、此処には熱気が立ち上っていた。
木刀を手にした男達が動く度に、ポタポタと汗が飛び散る。



ガンッ!!



冬の寒空の下で響くのは固い木が激しくぶつかり合う音。
音の元を中心にして厳つい男達が楕円状に集まり、激しく木刀を交える髭を生やした武士と蒼髪の青年の攻防戦を見守っていた。




ガァンッ!



カラーン…



二人の木刀が激しくぶつかり、髭の武士が持つ木刀が弧を描き地面に転がる。と同時に、武士がガクリと片膝を突く。


「ま、参った…」

「よっしゃー!俺の勝ちだな」

まだ幼さが残る顔を綻ばせて喜ぶ青年に、も自然と笑みが浮かぶ。
休憩所として造られた平屋の縁に腰をかけて、稽古の様子を見ていたは脇に重ねて置いていた手拭いを持って男達を掻き分けながら二人に駆け寄った。


「はい将臣君」

「ああサンキュー」

「はい、お疲れ様」

もう一枚の手拭いを髭の武士にも手渡す。

「あ、ありがとうございます」

にこりと笑いかければ武士の顔が赤く染まっていった。
首を傾げたに気付き、はっと我にかえると武士は慌てて頭を下げる。

「ええっと…」

畏まらなくていいと何度言っても彼、いや彼等はお姫様扱いの低姿勢を崩してくれない。



「姫様から手渡しなんて、いいなぁあいつ」

「ああ…」

周りの武士からそんな呟きが漏れていたのだが、当の彼女は気付いていない。

初めてが此所へ来たときは、平家の武士達はそりゃあもう慌てふためいた。
女子がこのような場所を訪れる事はあまり無いし、何よりは“御台盤所”である平時子とは遠縁の姫という触れこみで平参議の屋敷で世話になっているのだ。

…もちろんこの事は、時子が平家の中でが暮らしやすいようにと、裏で手をまわしたのだが。
得体の知れない女をそのような待遇で屋敷に迎え入れるのは…と周囲の者達は反対し、自身もそこまでされるのは申し訳ない。と遠慮したのだが、時子は納得してくれなかった。



「私の娘…盛子、徳子は私を置いて先に逝ってしまいました。…貴女を見ていると娘達を思い出すのです。なにも娘達の代わりになってくれとは言いません。少しで構わないので、私どうか哀れな母親の我が儘を聞いてはくれませんか」

今や平家一門の精神的支えとなっている時子に、沈痛な面持ちでそんな事を言われてしまっては、皆は了承するしかなかったのだ。

いつも幼く見られるが、自分はとうに二十歳を過ぎている。
“姫君”と呼ばれるのはいくらなんでも無理だし、皆もそう思っているとは思い込んでいた。

しかし、本人は全く気付いてはいないが、彼女が着飾った姿は“深窓の姫君”と言われて誰もが納得するくらいに見える。
ぼんやりと、例えば眠たくてウトウトしている姿でさえ「憂いを帯びた姿」とさえ評されていた。
ただしそれは「大人しくしていれば」の話。

全く大人しく無い“姫様”は平気で庭に降りて同じ屋敷に居る安徳天と遊ぶは、時間があれば女房の仕事を手伝おうとするは、果ては厳つい男達が集う鍛錬場に顔を出す始末。


「姫様がこんな所に来てはいけません!!」

「お願いですから大人しくしていてください」

最初は兵士やお付きの女房ゆきとさきにはそう言われていたが、何と言われようと鍛錬場へ足を運ぶのを止めようとしないに最近では皆諦めたようだ。



(何か新鮮だなぁー)

まだ顔に幼さが残る将臣には、還内府としての顔は見えない。彼の剣技は、まだまだ大太刀を振るっていた未来の姿とは程遠い。
鍛錬を見ていたせいか、身体がうずうずしてきて一緒に鍛錬に混じりたくなってしまった。
だが、この格好ではとてもじゃないが動けない。…どうにかして狩衣を調達して彼等の中に加われ無いだろうか。

思考を巡らせていると、自分の名を呼ぶ声が聞こえてそちらを見る。
武士達の姿の間に小走りに駆け寄ってくるゆきの姿があった。


「姫様ぁ!!またこのような場所で…」

「うっ…ご、ごめんなさいっ!」

常にお小言を言われているため、条件反射的に謝ってしまった。
彼女はより年下のはずなのに、全く口では勝てない。

テキパキと少し乱れた着物と髪を整えると、ゆきは息切れ一つもせずに用件を告げた。


「御台様がお呼びでございます」

「時子様が?ごめん将臣君、私行くね。皆さんも頑張ってくださいね」

ペコリと軽くお辞儀をして、はゆきに促されながら将臣に背を向けた。

「ああ、あんまり走って転ぶなよ」

「もぉー失礼な〜後で覚えてらっしゃい!」

頬を膨らませてパタパタと走り去って行くを見送りながら、将臣は笑いを噛み殺していた。
アレで一応肩書きは姫様なんだよな、と。
…言っている側から躓きそうになっているし。ピラピラした着物着て走るなんて普通はしないだろ。

背中に男達の羨望と嫉妬に近い視線を感じながら、本当には危なっかしいと思った。







「将臣殿と姫君は本当に仲睦まじいようですなぁ」

「本当に羨ましいかぎりだ」

の後ろ姿が屋敷の内へ消えると、将臣の周りの武士達がからかい半分羨ましい半分の言葉を口に出し始める。
を屋敷に連れて来てからというもの、からかわれるのはいつもの事。
もう慣れたとはいえ、ことあるごとに男達が嫉妬混じりの視線を送ってくるのだから将臣は内心うんざりしていた。

「あのなぁ…」

男の嫉妬は気持ち悪い、そう言いかけた時、将臣の周りに居た武士達何かに気付き弾かれたように後ろへ下がった。
男達が頭を下げている様子から、身分の高い者が鍛錬場に来たのか。



「げっ」

武士達の合間から何者が来たのか確認すると、将臣は眉を顰める。
見えたのは銀色のよく似た二人の男。…が立ち去った後で良かったと、安堵の息を吐いた。




「件の姫君はすでに屋敷へ戻られた、か」

上等な狩衣を着崩した銀髪の男がだるそうに将臣に問う。
残念がるわけでもなく、僅かに口元を楽しそうに歪めているのは将臣の反応をみているのか。

「まぁな」

「お姿を拝見したかったのですが、フフッ一足遅かったようですね」

もう一人の銀髪の男は身なりもしっかりしていて穏やかな口調だが、どこか含みがある言い方に、やっぱりこの男もいい性格をしている将臣は思った。


「知盛、重衡…」

「お久しぶりですね。しばらくお会いしないなと思ったら、件の姫君と仲睦まじくしているとは、将臣殿も隅に置けませんね」

爽やかな笑みとは裏腹に、重衡の背後から妙な圧力を感じて将臣は思わず後ずさってしまった。



、もう戻って来ないよな)

というか、頼むから戻って来ないでほしい。
眉間に皺を寄せたのを見ると、知盛はクツリと喉を鳴らした。

「クッ成る程…本当にその女を大事にしているようだな」

「はー茶化すなよ。お前等、仕事は終わったのか?」

「ああ、これから久々に兄上に稽古をつけてもらいたいと思ってね」

知盛が自分の事を兄上と言うとき程胡散臭い時はない。稽古をつけてもらうだなんて、何を言っているんだ。本気を出した知盛にはまだ勝つこと出来ないのに。
もしもが居なくて鍛錬を続けていたら、将臣をコテンパンにのすつもりだったのか。
というか、絶対に二人の目的は“姫君”の彼女だろう。


「嘘付け。お前等を見に来たんだろ」

「姫君はという名なのですか」

しまった、とばつが悪そうな顔になった将臣とは対象的に、にこやかに重衡は微笑んだ。


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