用意されていた席に腰を下ろした後も暫くの間は居心地の悪さを感じていたが、披露される白拍子の美しい舞や武装した男達の剣舞に引き込まれていき次第に気にならなくなっていた。
(さすが貴族の宴。綺麗だなぁ)
そういえば、以前知盛によって無理矢理宴に参加させられた時は始終緊張していて、しっかり舞を見ることが出来なかったのだ。
初めての宴の煌びやかさに、口を開けたまま呆けているに時子は穏やかな瞳を向ける。
「では、そろそろ私達は部屋に戻りましょうか」
「え…戻ってもかまわないのですか」
まだまだ宴は続いている。それなのに自分達が中座しても良いのだろうか。
「貴女を御披露目することもできましたし、皆も酒が入ってきた様子です。これ以上は女子には得な事は有りませんよ」
珍しく苦笑いを浮かべる時子。
なる程…よくよく室内を見渡せば、程良く酒が回り普段は武骨で生真面目な男達が楽しそうに騒いでいた。
中には酌をする白拍子に絡みだす者すらいる。
「わかりました」
立ち上がろうとした時、おぼつかない足取りでやって来た宗盛がの横へどかり、と腰を下ろす。
「何処へ行こうというのだ」
酒臭い宗盛の無遠慮な振る舞いに思わず眉を顰めてしまった。
「と申したな」
「はい」
「一献注いでもらおうか」
「私がお酌、ですか?」
身を引いて宗盛から離れようとするが、片手を掴まれ無理矢理徳利を押し付けられる。
怒鳴りたくなるのを理性で抑え、浮かべた愛想笑いは引きつった笑いになってしまった。
「宗盛殿!彼女にそのような事をさせる訳には…」
「いえ、かまいません。宗盛様失礼いたします」
珍しく声を荒げた時子に微笑みかけて、宗盛の持つ杯に酒を注ぐ。
社会人になれば上司に酌をしてまわる事もあるため、特に抵抗は無い。
神経質で嫌味なのを差し引いても宗盛もなかなかの美男子。酔っ払った親父達に比べれはずっといい。
なみなみと杯に注がれた酒を飲み干すと、宗盛は上機嫌で杯を置いた。
「フン、白拍子達の舞にもそろそろ飽いたわ。そなたは舞えぬのか?義母上の縁者ならばそれ相応の教養は持ち合わせているのだろう。一差し舞ってもらおうか」
至近距離で吐かれる酒臭い息に思いっきり眉を寄せたの肩を抱き寄せると、宗盛はニヤリと口の端を吊り上げる。
「それとも、山奥で生まれ育った姫君は都人に見せるような舞は知らないと言うのか?」
「…っ」
脂ぎった指先で顎をなぞられ、嫌悪感からゾワリと鳥肌が立った。
「おい!いい加減にしろよ!」
堪えきれず声を荒げる将臣に、宗盛は目を細めると腰の小太刀に手を当ててみせる。
「ほう、私に意見すると言うのか?お前のような者が!」
「宗盛殿お止めなさい!」
それまでのやり取りを黙ってまま見ていた重衡だったが、時子の制止にも耳を貸さない宗盛を止めようと腰を浮かした。
だが、立ち上がろうとするのを知盛は片手を広げ制する。
「兄上何を…」
「さて、姫君はどうする?」
戸惑う重衡の問いには答えず、知盛は愉しそうに顎に手を置いた。
「わかりました」
張り詰めた雰囲気の中、静かなの声が響く。
「宗盛様。私の舞で宗盛様が満足していただけましたら、彼の無礼をお許しくださいますか?」
「ワリィ…」
「将臣君は私を助けようとしてくれたんでしょ?大丈夫、こう見えて多少は舞えるの。だからやってみるね」
うなだれる将臣の肩を軽く叩くと、にっこりと笑みを見せる。
「無理をしないで…」
「何とかやってみます。時子様扇を貸していただけますか?」
渡された扇は白地に紅梅色で梅が描かれており、一見簡素だが寒空の下梅の花がほころび始めた時節を表現していた。
扇を開けばほのかに薫る香の香り…
不思議と気分が落ち着き、何とか舞えるような気がしてきた。
「…で、お願いします」
楽士に曲目を伝えるとは息を吐きながら部屋の中央へと歩み出た。
意識を集中させて瞼を閉じれば、もう雑音は聞こえてこない。
閉じた扇を開けば、それを合図に楽が奏でられ始める。
閉じた瞼をゆっくりと開くとは息を吐いた。
曲調に合わせてしとやかにも艶やかにも変化していく舞。
障子の隙間から差し込む月明かりがスポットライトのようにを照らし出していた。
舞姫の作り出す空気に、騒いでいた男達もいつしか動きを止めて魅入っていく…
* * * *
パチン…
楽が止み、扇が閉じられる。
舞が終わっても余韻に浸り暫くの間は誰も口を開けなかった。
(良かった舞えた。久しぶりだから凄い緊張しちゃった…)
一礼をして顔を上げればの顔に自然と浮かぶのは安堵の表情。
「…宗盛殿、彼女が卑しき身の者では無いと納得してもらえましたか?」
「くっ…」
ポカンとだらしなく口を開けたままだったが、時子の声に我に返ると悔しそうに顔を歪めた。
「なんとまぁ麗しい…」
扇で開いたままの口元を隠しながら惟盛は感嘆の息を漏らす。
今まで様々な舞を見てきた。
舞の技術だけを見たらおそらく自分の方が上だろうが、何故かの舞う姿には心の琴線が揺さぶらるようで。
「微笑む姿は美しい大輪の華のようだと思いましたが、舞う姿はまるで蝶ですね」
興味深い、そう言いながら重衡は眩しそうに目を細めた。
クツクツと愉しそうに知盛は喉の奥で笑う。
「クッ、なかなか面白そうな女だな」
「はぁ…すげぇな。って何者だよ」
高校生だった自分にはよくわからないが、習い事をこなす現代女性は多くてもその中でも舞を心得ている者は少ないはず。
異世界から来た当初も取り乱す事も無く、冷静だった彼女。
宗盛に対しても一歩も引かずに受けて立つとは、肝が据わっているというか、何というか…
「でも、はぁ困ったぜ。せっかく目立たせないようにしてたにな…」
影の努力が水の泡。
知り合ってからまだ日は浅いが、きっとこの先も自分は彼女には敵わないだろうな、将臣はそう苦笑いを浮かべた。