ビンッ!
押さえる箇所を間違えてしまったせいで音程がずれてしまい、弦を爪弾く指が止まる。
せっかく調子良く弾けていたのに、曲の終盤に差しかかったところで気が緩んでしまったか。
「やっぱりお琴は駄目ですね」
はー、と痺れて感覚の鈍くなった脚を崩しながら溜め息混じりに呟けば、の横に座している公達は柔らかく微笑む。
「そんな事を仰らないでください。殿は随分と上達されたと思いますよ?」
「うーん、そうですか?…経正さんに励まされたら頑張れるような気がします」
障子越しに室内へと入り込む光で、烏帽子を脱いで柔らかい少し波立った癖のある焦げ茶の髪が揺れる。
穏やかで柔らかい経正の微笑みにつられて、の口元からえへへっと笑みが零れた。
便宜上“深窓の姫君”として身に付けておいた方がいいだろう教養として時子の薦めで、琴を習う事を二つ返事で了解したのが運の尽きというか。
「琴を弾いている姿が見たいですし」
とかなんとか、時子の呟きが聞こえた気がしたが…それはきっと気のせいだと思いたい。
楽器を扱うなんて中学時代のリコーダー以来というが琴を弾けるわけもなく…
あまりの酷い音に「上手く弾く事なんて出来ない」と、何度も諦めかけそうになったがその都度時子の期待に満ちた顔が脳裏に浮かび、何とか気持ちを持ちこたえていた。
が、誰にだって得手不得手はあるもの。
もそれにもれずに舞は出来ても琴だけはどうしても出来ない。
ゆきとさきの二人にでさえ匙を投げられて、最後の頼みと泣き付いたのは経正だという訳だったのだ。
突然の訪問に驚いたものの、すんなりと了承してくれた経正に基本から辛抱強く教えてもらって確かに上達したのは実感していた。
しかしまだまだ貴族の姫君には遠く及ばないし、自分でもこんなのは納得がいかない。
「そろそろお疲れでしょう。少し休憩しましょうか」
黙り込んだのを疲れた為と受け取ったのか経正はそう言うと、立ち上がりに手を差し伸べた。
一瞬だけ戸惑ったが、素直に経正の手を取ろうと立ち上がる。
しかし、長時間正座をしていたため足が痺れてもつれてしまった。
「きゃあっ」
「っ、大丈夫ですか?」
「すっすいません」
床に倒れそうになって、とっさに側に立つ経正にしがみついてしまった。
真上からかけられた声にその事に気付いて、慌てて痺れた足に無理矢理力を込めて離れようとするが、
「殿、私の手に掴まっていてください。無理をして貴女が転んでしまったら悔やんでも悔やみきれません。どうか無理をなされませんよう」
経正の大きな手がの肩を抱き寄せる。
狩衣からほのかに香る白檀の香が鼻腔をくすぐり不覚にも胸がときめく。
優しい笑みに彼には何も裏は無いのだろうが、ある意味その行為はどんな口説き文句より女心を揺さぶるだろう。
計算も無くこんな事が出来るのはやはり平氏の血筋なのだろうか。
お願いだから耳元で囁かないでほしい。
一瞬でも相手を意識してしまった状態では練習なんか出来るわけも無く、やはり琴は諦めた方が無難なのかもしれないな…ふとそう思った。
「…ありがとうございます」
は経正にほんのり紅くなった頬を見られないように俯きながら頷いた。