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「いたぁ…」

久しぶりに打ち合ったとはいえ、少し動かすだけで鈍い痛みを訴える手足をさすりながらは苦笑いを浮かべた。
ずっと体が重くて痛くてたまらなかったけれど、さきとゆきに知られたら薬師を呼ばれてしまうだろうから必死で堪えていたのだけど、やっと夜半になり二人が自室に下がった今、ようやく口に出せる。


「すぐ息切れしちゃうし、こんなんじゃ鍛え直さなきゃ駄目だよね」

ひんやりと冷たい柱に頬をくっつけて瞳を閉じると、鮮明に昼間の知盛との稽古を思い出す。

最初は小馬鹿にした笑みを浮かべていた知盛だったが、木刀を打ち合う度に木刀に力がこもっていき、徐々に本気になっていくのが分かって嬉しかったのだ。
陽光に銀髪がきらきらと輝いていて、彼自身が芸術作品に見えた。
実際は知盛の太刀を受け止めるだけで精一杯で、武将と力の差を思い知らされたのだけど。
以前、彼に剣を教わった時空に戻ったような錯覚がして夢中になっていた。
それは周囲で見ている将臣達の事すら忘れるくらい。

知盛との打ち合いを終えた後の将臣と重衡は相当な慌てようだった。
思い返すと彼等に申し訳ないが、笑みが浮かんでしまうくらいの慌て方で。


、お前が太刀を振るう必要はねぇよ』

『何があっても私が命をかけて貴女を守りますからもう無茶はなさらないでください』


将臣や重衡だけじゃない、今まで関わった平家一門の皆自分の事を気遣ってくれている。


「みんな優しい人達…」

このまま守られるだけの生活は、とても心地良く砂糖菓子みたいにあまいもの。
素敵な男性に囲まれて姫君扱いをされるなんて、女の子なら一度は憧れる生活だろう。
でも、それでは何も変わらないのだ。

誰も助けられない。

ぬるま湯の様な生活はもう終わりにしよう。




「もう…今度はもう逃げないから」

覚悟を決めた今、向かうべき場所は決まっている。

ゆっくりと身体を起こす。
屋敷へ来てから見付からないように荷物の奥に隠していた太刀をとりだすと、は音を立てて警備の兵に気付かれぬよう慎重に襖を開いた。






三日月が心もとない僅かな明かりを放ち、薄暗い夜の闇に紛れるように渡り廊下を進む。

屋敷の者は皆寝静まっているのか、まるでこの世に一人ぼっちになったような気がして心細くては自分の肩を両腕で抱いた。
今からとんでもない事をやろうとしているのに、風が草木を揺らす音にすら恐怖に感じているなんて滑稽だ。


キィ…

足音を忍ばせて歩いていかなければならないのに、緊張感からか大きな音をたてて廊下を歩きたくなる。




「……」

息を殺しながら目的の部屋の前に立つ。
軽い襖なのに、ひどく重たい鉄扉みたいに感じた。
自分が生まれ育った時空で読んだ漫画のように、自由に自分の気配を消すことが出来ればいいのに。

ゆっくりと静かに襖を開くと隙間から見える室内。
当たり前だが目的の相手は人の気も知らないでぐっすりと就寝中らしい。
規則正しく上下する胸元が彼が、知盛が生きていると証明していて安堵した。



音を立て無いように開いた襖の隙間からするりと室内に入り、爪先立ちで床板を歩いて知盛に近付く。
そして懐に隠し持っていた太刀に手をかけて、サスペンスドラマさながら刃の切っ先を彼の喉元目掛けて、一気に突き刺した。





ギィン―…



知盛の喉に突き刺さるはずだった切っ先は、肉には突き刺さらず硬質な物に当たって止まった。
想定以上の反応には笑みを浮かべる。
が太刀を鞘から引き抜いて一気に下に突き下ろす動作と同時に、知盛は枕元に忍ばせていた太刀の鞘で刃を受け止めたのだ。


「クッ、随分と大胆な夜這いだな」

「やはり気が付いていました?」

平知盛は平家屈指の武将だ。
部屋の前に立った時点で侵入者の気配に気が付いていたに違いない。
もちろん寝ぼけてなんかいない。
知盛を自分などが出し抜くことなど無理だと最初から分かっていた。
しかし殺気は放ったつもりは無かったが、夜這いだなんて…深夜に男性の部屋を訪れるならそう思われても仕方ないか。


「無礼をお許しください…貴方に頼みがあります」

「頼み?」

正座をし直して言うと、知盛は先程の無礼に怒ることも、訝しがることもなく、どこか今の状況を愉しんでいる様子でを見た。
紫紺の双眸がどんな突拍子の無い事を言い出すのか期待しているように。

「…私が知盛様に打ち勝つ事が出来たなら、貴方を満足させることが出来たならば、私に力を貸してくださいますか?」

「なに…?」

ピクリと知盛の肩眉が上がる。
彼の動揺した表情にの気持ちが少しだけ緩む。


「知盛様の力を、貸していただきたいのです。…貴方は生半可な事では動かせない。ここまで行動せざるを得なかった、私の覚悟を貴方に見せれば良いのでしょう?」


言い終わるや紫紺の瞳がすぅと細められ、殺気に近い視線がに突き刺さる。
お互い視線を外さないまま無言のまま数秒見つめ合った。



「クッ…面白い」

なかなか退かないに知盛は口の端を吊り上げる。

「では、見せてもらおうじゃないか…姫君の覚悟とやらを。本来のお前を」




「来い」と一言告げて、太刀を手に部屋を出て行く知盛の背中を追い掛けながら、はようやく息を吐いた。
生きた心地がしなかったとはまさにこのこと。ほんの数分だったのに心臓が鷲掴みにされるようだった。
これが無謀な賭だとは理解している。

まだ死ぬのは悔いが残るがたとえ傷付いても、この行動と自分の存在がこの先の未来に変化を与えてくれればいいのだから。
震え出しそうな身体に叱咤し、部屋を出た。


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