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鍛錬場は屋敷の裏手にあるため、ただでさえ足元がおぼつかない薄暗い月明かりが屋敷の影に隠れてとどかない程の暗闇に覆われていた。
この世界に来て数ヶ月、何とか夜目はきくようになったがこの暗闇では自室まで一人では戻れそうにないなと思う。

先を行く知盛が何も躓かないで歩けているのが不思議でならない。
小走りになりながら鍛錬場の中程まで行くと知盛は足を止めた。




「さあ、俺を愉しませてくれるのだろう?」


知盛が振り向いた際に銀髪が僅かな月明かりを反射して輝く。
が足を止めたのを確認すると知盛は右手で木刀をに向ける。


「知盛様、本気で来てください」

「なんだと?」

木刀ではなく太刀で、とも言えば知盛は怪訝そうに眉を寄せた。
そんなことを言ったら彼は容赦なく本気で来るとわかっていたが、本気の知盛を打ち負かさなければ意味は無い。


「本気の貴方に勝たないと意味はありません」

「クッ、いいだろう。後悔するなよ」

口元の笑みはそのままに、知盛は木刀を投げ捨て双刀を構えた。



(恐い、これが平知盛)

余裕の笑みを浮かべる姿は先程の彼と同じなのに身に纏う雰囲気が全く異なる。
昼間打ち合った際は彼もお遊び程度だっただろうが、今は全く打ち込む隙がない。
どこから攻撃を仕掛けたとしても反撃は避けられない。
猛将、智将と謳われた武将と一般人に毛が生えた程度の自分との差は明白で…

こうなったら反撃は覚悟の上。
は思いっきり地を蹴った。


キィン!


動きを読まれていたようで初撃はあっさりかわされてしまう。
知盛からの斬撃を受け止める度に太刀を握る両手が痺れる。
まともに受けていたら力で押し切られてしまうため、後退しながら何とか受け流す。

一太刀目を何とかかわしても直ぐに二太刀目がやってくる。
打ち合う度に確実に細かい傷が刻まれていく。
自分に剣技を教えてくれたのは知盛なのに。
彼の剣技は知っているはずなのに、目の前にいる知盛からは畏怖に似た恐怖すら感じる。


「クッ姫君の覚悟とやらはこんなものか?」

「絶対に負けない!」

声を張り上げれば知盛の笑みが深くなる。
面白がっている様子にかっと頭に血が上った。

悔しい。

でも、普通に戦っていたら勝てない。
勝たなければ意味は無いのに。ぎりっと奥歯を噛み締めた。


一太刀目を太刀で受けながら知盛に近付く、二太刀目は…

ざくりっ

皮膚を肉を切り裂く嫌な音がして血しぶきが上がる。


「何!?」

「くぅっ」

左手首を切り裂かれたことによる叫びたくなる程の激痛は下唇をきつく噛み、堪えた。
ようやく出来た一瞬の隙、逃す訳にはいかない。



「はぁはぁはぁ…」

の動きに反応するより早く、太刀の切っ先を知盛の首筋に当てる。


「私の、勝ちですね」

「クッ、やってくれるじゃないか」

太刀を突きつけられているのに、知盛は新しい玩具をみつけた子どもみたいに嬉しそうに笑う。
正直、自分の片腕を犠牲にしたに意表をつかれたのだ。
自分に対して媚びる女や畏怖する女はいてもここまでのやってくれる女はそういない。
姫君の覚悟に感嘆すら感じた。


「いいぜ。お前に力を貸してやる。……姫君の覚悟を見せていただきました。望みをお申し付けください」

「私の、望みは…」

言いかけて疲労と出血から目眩がして、ぐらりと傾ぐ身体。
とす… 地に崩れ落ちそうになるのを知盛が片手で抱き止める。
彼の肩越しに途切れ途切れに自分の望みを伝えた。



「女のくせに何を馬鹿な事を、と思いますか?」

流れ落ちる腕からの出血が地面を赤く染めていく。
出血からかなり深く切れているだろう。
このままだと出血多量になるかな、ぼんやりそんなことを思っていたら知盛の大きな手のひらがの腕を傷口ごと握った。

「痛ぅ…」

「わかりました。姫君の仰せのままにいたしましょう」

彼なりの気遣いなのか身体を支えてくれる手が優しい。
ただ、止血のためか力を込めて傷口を握ってくれるものだから、悲鳴を上げて泣き出しそうなくらいの痛みを堪えて必見で笑顔を作った。


「ご協力ありがとうございます」



本物のヒロインが来る前に物語の運命を変えてしまおう。
何も出来ずに泣いた以前の時空を繰り返さないためにも、戦うことを選ぶ。
それが自分の導き出した答えだった。



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