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幼い頃はいつもびくびくしていて眼を伏せて歩いているような大人しい子どもだった。
昼間でも建物の影が恐くて、夜は灯りを付けなければ寝ることが出来ない私は臆病な子どもと評価されていたと思う。
他の人に視えないモノが自分には視えてしまうことが怖くて、この事が他人に知られるのが恐くて、叔母の月子以外には本心を打ち明ける事もしなかった。
中学生になる頃だったか、自分を偽るために眼鏡をかけ始めたのは。

そんな自分が、こんなに大胆になれるとは…人って考え方でどうにでも変われるものなんだな。







「姫様、今日は暖かくて良いお天気ですこと。桜の蕾も大分膨らんできましたね」

「本当に爽やかないい天気だね。こんな日はお弁当を持ってどこかに出掛けたくなるくらい」

「まぁ姫様ったら」

自室から見える中庭はすっかり春めいていて、縁側でひなたぼっこしたら気持ち良いのだろうと思う。
ただし、今のには酷過ぎる。

あはは、と笑ってみるが実は睡眠不足の眼には陽の光は眩しくてたまらないし、目眩と頭痛で倒れそうだった。それに知盛に手当てしてもらった腕の傷は熱を持ち、衣が擦れる度に激しい痛みを訴える。
昨夜の出来事を彼女達に知られるわけにはならないから「痛い」とは言えない。


「桜が咲いても邸を脱け出すような真似はなさらないでくださいませね、姫様?」

「い、いやだなぁ〜そんな事しませんよ」

この時代、もちろん痛み止めなんて無い。引きつるような痛みに涙が出そうになる。

(痛い…誰か助けて)

笑顔を作って堪えるのもそろそろ限界が来ていた。





「あっ?」

中庭から見える渡殿に見知った青年の姿を見付けが声を上げると、弾けるようにゆきとさきは衣を直しの後ろへ下がる。
全く待って有り得無いのだが、この時ばかりは彼が天使に見えた。


「知盛様」

「御約束通りお迎えに上がりましたよ、姫君」

次の言葉を言いかけて知盛はいや、と付け加えた。



知盛がの名前を呼んだ事に、さきとゆきが目を見開いて驚く。
姫君ではなく名前で呼んで欲しい、そう彼に頼んだのは自分なのに、改めて言われると照れてしまい顔に熱が集中してしまう。


「知盛様、ありがとうございます」

「お体の具合は如何ですか?」


元気なわけないのは分かっているのに、知盛は意地の悪い笑みを浮かべながら問う。


「お陰様で…大丈夫です」

「クッそれは良かった」

腕は痛みで感覚が麻痺しているし、身体は熱っぽくてだるくて仕方がなかったがニッコリと笑みを浮かべて答えてやった。
端から見たら公暁と姫のロマンスな関係。

全く違うのに、と知盛が良い仲になったのかと女房二人が勘違いしてしまうくらいの甘い雰囲気さえ醸し出している自分達は大した役者だな、と内心苦笑いした。
お手をどうぞ、と差し出された手を取り立ち上がろうとして、

「っ…」

手を軽く引かれて腕に走った激痛に堪えきれず声が漏れる。この時ばかりは知盛を睨み付けてやった。


「姫様…」

「大丈夫だから、少し行ってくるね」

控え目に声をかけるさきに片手を軽く振りながら言う。
彼女達が戸惑うのも無理もない。あの知盛がの手を握り、エスコートしようとしているのだから。


女房達の視線を背中で感じながら無言のまま渡殿を歩く。
勘違いされた事もそうだが、これから先の事に不安を感じないわけは無い。不安でいっぱいだ。

(…?)


不意に知盛の手に力がこもった気がした。
歩き始めてから一度も振り向きもしない知盛の背中と繋いだ手を見詰める。


(約束通り味方してやる、って意味なのかな?)

わかりにくいけれど彼なりの気遣いに不思議と何とかなる気がしてきた。
それに、ここまで来たからには後には退けないのだから…











* * * *










「何故お前が軍議の場に居るのだ」


邸のなかでも一番広い普段でも会議を行う一室。
その部屋の襖を開いた宗盛が開口一番言い放った言葉に集まった男達が一瞬静まる。
嫌味の一つは言われるだろうと予想はしていたが、将臣は思わず隣に座る経正を見てしまった。


「宗盛殿、将臣殿は一門の為にと戦に参戦されるのです」

将臣の向けた視線の意味を理解した経正がやんわりと答える。

「フンッ一門のためだと?我らに媚びを売るための戯れ言か、それともただ犬死にするために戦に出るのか?ほとほと呆れた奴だな」

「っ…」

芝居がかった仕草で天を仰ぎながら嫌味を言う宗盛に、さすがに将臣は腰を浮かす。
だが、将臣よりも先に立ち上がった人物が声をあらげた。

「宗盛よさぬか!確かに最初は重盛と面立ちが似ているという理由から屋敷に上げたのかもしれぬ。だが、将臣殿は我等と血縁は無くとも今や平家一門の一員なのだ!」


自分に意見できる数少ない人物の一喝に、宗盛はぎりぎりと唇を噛む。
父親である清盛の弟、忠度は宗盛にとっては家督を継いだとはいえ、幼い頃から自分に厳しく接してくる叔父は未だに苦手とする相手だった。
忠度の外見が在りし日の父親にどことなく似ているのも理由の一つだが。

「…叔父上、たかが重盛兄上に似ているというだけで父上に取り入った者の肩を持つなどと…叔父上もずいぶんと酔狂な趣向をお持ちですな」

「宗盛!」

「っ…」

忠度の言葉を全く聞き入れようとしない宗盛に、将臣は眉間に皺を寄せる。
平家に世話になって約二年あまり。平家の者とはすっかり打ち解けて最近では彼等から信頼されている、と感じてはいるが、宗盛に食ってかかるまでの力は自分には無い。
忠度には悪いが今は堪えるしかないか、と膝の上に置いた手のひらをきつく握り締めた。




「兄上、ここは軍議の場です。無用な騒ぎはお止めください」

落ち着いたよく通る声が響き、宗盛と忠度二人の間にある緊張が少しだけ緩んだ。


「…重衡。有川は一門の者でもない男。たかが重盛兄上に似ているというだけで父上に取り入った源氏の間者で我等を欺いいているかもしれんのだ。そんな者は信用など出来…」

「兄上」

勢い良くまくし立てる宗盛に最後まで言い終わらせないで、静かな、だが鋭さがこもった重衡の声が重なる。



「なにを…」


発言しようにも、重衡から放たれる殺気に近い空気に宗盛は口からは次の言葉が出て来ない。
二人の様子を間近で見ている将臣は思わず苦笑いを浮かべる。
どうやら宗盛は平家一門の中でも、怒らすと怖い相手である重衡の機嫌を損ねてしまったようだ。

「そこまでにしていただけませんか?」

男ばかりが集まり、熱気がこもっていたはずの部屋の温度が下がっていくのを誰もが感じた。


「皆、軍議のために集まったのですよ」

雰囲気を一変させて冷笑を浮かべる重衡に、さすがに宗盛の興奮も冷めていく。
普段は柔らかな物腰に隠された重衡の本質は、よく似た面立ちの知盛以上に厄介なものだということは、兄弟という長い付き合いの中で十分理解していたからだ。


「と、とにかく軍議を始めようではないかっ」

「宗盛殿、まだ知盛殿がいらしていませんが…」

ズカズカと室内を進み、上座の円座に腰を下ろした宗盛に年若い男が控え目に言う。

「なんだと?このような大事な場に遅れるとはっ!まったく我が弟ながら知盛は何を考えているのやら理解できんな」

将臣から知盛に悪口の的を代えたらしく、宗盛は大袈裟に溜め息を吐いた。

重衡も相手がすぐ上に兄だと何も言うつもりは無いようで、黙したまま静観を決め込んでいる。
部屋に集まった者達も半ば呆れながら黙って様子をうかがう。


(たくっ何やってるんだ知盛のヤツ!)


得意気に知盛の悪口を撒き散らす宗盛にいい加減将臣が苛立ってきた時、外廊下からこちらに向かって来る足音が聞こえた。










「兄上、遅れて申し訳ありません」

「知盛!軍議を何だと…」

全く悪びれもしない知盛に勢い良く言い放った宗盛だったが弟の背後を見て、一瞬の間を空けて呆けた表情へと変化していく。

「申し訳ありません兄上、姫君をお迎えに行っておりましてね」

「宗盛様、申し訳ありません…」


「なっ」

「姫?」

知盛の後ろから聞こえた場違いな女性の声に、集まった者達から驚きの声が上がった。



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