「私も戦に出ます」
そう宣言してから数刻も経っていないと言うのに、言ったの周囲は本人以上に混乱していた。
元の世界で住んでいたマンションに比べたら広い邸であっても、外界からみたら狭い社会、狭い人間関係である。
しかも此処には噂好きな女房ばかりだから、話が広まるのもあっという間。
「姫さまぁ」
「戦に出るなどと…嘘だとおっしゃってください!」
与えられた部屋へ戻る途中、の姿を見つけたゆきとさきはものすごい勢いで走り寄って来た。
二人の様子に何事かと他の女房から視線が集まるが当の本人達はそれどころではない。
「えっあ、ちょっと二人とも!?」
の衣にしがみついて、押し倒すばかりの彼女たちについ後退ってしまう。
「何故、何故、姫様が戦に出なければならないのです。戦など殿方に任せるべきです」
溢れ出した涙を拭うことなく問うゆきの顔ははもうぐしゃぐしゃ。
このまま泣き続けていたら鼻水も垂れてきそう。
かわいらしい顔も涙で台無しなのに、それを気にするより自分のことを案じてくれる彼女達にの胸は締め付けられた。
「ゆきさん、さきさん…」
最初は彼女たちは与えられた勤めだから、得体の知れない自分の世話をしてくれるのだとずっと思っていた。
しかし、泣きながら止める二人の姿に、こんなにも自分のことを思ってくれると、の目頭が熱くなる。
「何も言わないで勝手に決めてごめんなさい。平家一門のために、私に出来ることを考えた末の決断なの」
「そんな、姫様が戦になど…!」
「いけませんよぉ」
自分のせいで泣かせてしまったのは心が痛むこと。
しかし、こんなことで決意を揺さぶられるわけにはいかない。
は、しがみついて泣きじゃくる二人の背中を撫でることしか出来なかった。
翌日ー…戦の前にもう一人事情を説明しなければならない人物がいた。
彼女が居る部屋の前で少しばかり躊躇したが、意を決しては室内に居るであろう人物に声をかけた。
「お義母様、です。よろしいでしょうか?」
「…?お入りなさい」
室内に入ってきたが自分の前に座るのを確認すると、時子は側仕えの女房を部屋の外に下がらせた。
「、貴女も戦に出ると聞きました。それは貴女の意志なのですか?」
悲しそうに問う時子には俯きそうになるのを堪える。
時子に対して、恩を仇で返すようなことをしようとしている気がして罪悪感で胸が痛い。
しかし、自分の気持ちを伝えなければならない。
「お義母様…お願いがあります。何処の誰ともわからない私を一門は受け入れてくれました。一門の危機に少しでも力になりたい、恩返しをしたいのです。…大丈夫、私は必ず生きて戻ります。だから、だから…今は何も言わないで送り出していただきたいのです」
「…」
真っ直ぐに見詰める瞳は真剣そのもので迷いなと無い。
“止められない”時子はそう感じていた。それでも思ってしまう。
「貴女を戦に行かせるなんて…」
「大丈夫、一門の皆もちゃんと戻って来ますから。だから泣かないで…」
泣きながら抱き締められる温かさにも目頭が熱くなる。
幼い頃に母親を亡くしているは母親を知らない。
だが、時子の自分を思う気持ちはとても温かくて…きっと母親とは彼女のように優しく温かい存在なんだろう、そう感じた。
自室へ戻る途中、自分の名を呼ぶ声とパタパタと走って来る足音には振り返った。
「〜!」
「わっ言仁君!?」
ぼふん、という効果音が聴こえてきそうな程小さな幼子の体がすっぽりとの腕の中に収まる。
言仁の母親である徳子とは年齢が近いらしく、亡き母と重ねて思っているのか彼はにとてもよく懐いていた。
しかし、幼くとも一応彼は天皇陛下。
(は彼を安徳天皇と呼ぶのに違和感があり本人の了解のもと言仁と呼んでいる)
行儀作法に厳しい乳母が走り回って甘えん坊丸出しの彼を見たら、きっと悲鳴を上げてしまうだろう。
「も戦に行ってしまうのか?」
身を屈めて言仁に目線を合わせてやれば、彼はの胸に頬を擦り寄せて甘えてくる。
「言仁君大丈夫だよ。…私は絶対に帰ってくるから。約束するよ」
「約束…?」
言仁は泣きべそ顔のまま顔を上げる。
「そ、約束の指切りしよう。私の言うことを真似してね」
素直に頷く言仁に自然と笑みが漏れる。
自分の小指と小さな小指を絡めた。
「ゆ〜び切りげんまん〜」
「ゆ〜び切りげんまん〜」
の声と幼い天皇の声が重なり渡殿に響く。
「「嘘ついたら針千本の〜ます」」
「「指切ったぁ」」
勢い良く離れる二人の小指。
途端に二度言仁の表情が崩れて、に抱き付く。
「…針千本飲みたくないから戻ってくるよ」
「うんっ…」
衣を握り締めて泣く言仁の頭を何度も何度も撫でた。
* * * *
自室に戻って息をつく間も無く、やって来た来客には思わず溜め息を漏らした。
「知盛様…どうされました?」
自分を訪ねて来てくれたのは嬉しいが、今日一日で相当気疲れしているため、正直なところ彼の相手をしている心の余裕が無い。
の内心を知ってか知らずか知盛は口の端を上げる。
「今度の戦だが…お前は、お前と有川は俺の軍に加わる事になった」
「知盛様の?将臣君も一緒って…」
驚いて聞き返すと知盛の笑みは意地悪い笑みへと変わる。
「クッ、兄上と一緒が良かったか?それならそれで兄上は喜ぶだろうが」
知盛の言葉にの目が丸くなる。
そしてその意味を理解した。
「味方になってやる」以前彼はそう言ってくれた。
宗盛のことだからおそらくを自軍に、自分の側に置こうとしたのだろう。それを知盛が庇ってくれたのだ。
将臣も一緒に自分の側に置くように手配してくれるなんて、今日はいろいろあったためか、彼の優しさに気を緩めたら涙が零れそうになった。
「…お気遣いありがとうございます」
「さて?何のことやら」
惚ける知盛が何だか可笑しく思えて、クスクス笑ってしまった。
暫く笑った後、は呼吸を整えて知盛を見た。
まだ目の前にいる知盛は…生きている。
“じゃあな”
前回の時空での彼の最後は、ずっと心の中に焼き付いて消えることはない。
だからこそ倶利伽羅峠の戦に負けるわけにはいかない。
彼を助けるためにも、この先の運命を変えるためにも。
「…そんな顔をして、俺を誘っているのか?」
切なそうに唇を結び、瞳を潤ませて自分を見上げるに、知盛は無言のままゆっくりと手を伸ばす。
「知盛、様?」
大きな手のひらがの頬を包み込むように添えられる。
彼の行動に少し驚きつつ、拒むことはせずには頬に添えられた手に自分の手を重ねた。
「…そうかもしれない」
「クッお前は本当に面白い女だな」
愉しそうに笑う知盛に、は自分の頬が熱を持つのを感じた。
「貴方の方が、よっぽど面白いしいい男だと思うけど?」
「…、少し黙っていろ…」
引き寄せられ、頬に添えられた知盛の手が滑るように顎に触れる。
雰囲気に流されるまま、はゆっくりと瞼を閉じた。