寿永2年4月17日−…
ついにこの日がやってきた。
武装した厳つい武士達が緊張の面持ちで整列する。
彼等の目前にはこの軍を率いる将、平知盛と男装した女人が立つ。
視線を一身に受けて女人、は困り顔で隣に立つ知盛を見た。
戦へ同行するために手を貸してもらい、彼には感謝しているがこれはあんまりじゃないか。
の視線に気が付き知盛は口の端を上げる。
なるべく人前では猫をかぶっていようと思っていたが、つい眉を寄せてしまった。…これは絶対に面白がっている顔だったから。
つい先程の知盛との会話が脳裏に蘇ってくる。
『…有川の話によれば、お前にはふぁんが多いから軍に加わるだけで兵達の士気が上がるらしい。戦の最前線に立てとは言わん。が、兵達の士気を上げる役でもしてもらおうか』
『ふぁん?兵の士気を上げるって、私は何をすればいいのですか?』
『さて?とりあえず姫君の御言葉をいただければ兵達も満足するだろうな』
士気を上げるためとはいえ、いきなり「兵達の前で話せ」とは無茶振りすぎやしないか。
知盛の態度に少し腹が立ったが、自分の存在を示すいい機会をもらったのだ。
緊張で逃げたいのが本音。でも、この場から逃げるわけにはいかない。
覚悟を決めて一歩前に出た。
「…今ここに集いしあなた方は平家に忠義を示している方々のはずです。言うまでもなく源義仲の傍若無人な悪行は日に日に目に余るものとなっています。主上を護る平家に仇なす者を見過ごすわけにはいきません。そのためにも貴方方一人一人の力が必要なのです。主上のため、平家のために貴方方の力を借りたい。
此度の戦は苦しいものとなるやもしれない、しかし戦場へは勝利を手にするために向かうのです。皆、必ず戦に勝利して、生きて京の都へ戻って来ましょう!」
「「おおー!!」」
「「姫様に勝利を!!」」
次々に湧き上がる兵達の声にこれで良かったのかと戸惑いつつ、息継ぎを忘れるくらい緊張して一気に言い放ったから変な事を言ってはいないかと、横目で知盛を見やれば彼は、まぁよくやったなと満足げな笑みを返した。
活気付く兵達の中に、将臣の姿を見付けても安堵の笑みを浮かべた。
「将臣君ごめんね」
戦へ同行すると決めてから、も皆に混じって武芸の練習に励んだ。
その中で乗馬の練習もしっかり行った。努力はした、そう努力はしたのだが…には乗馬の才能は無かったらしい。
「ま、気にすんなって」
さすがに大将である知盛の後ろに乗せてもらうのは気が引けて、は将臣の馬に乗せてもらうことにした。
自分から戦に出ることを頼んだのに、足手まといみたいで申し訳ないとしょんぼりするの頭を将臣は軽く撫でる。
だが…
「クッ、仲のよろしいことだな」
知盛からは皮肉混じりの言葉と冷めた視線が将臣の背中に突き刺さって、痛い。
彼の態度からたとえ恋愛感情で無いとしても、を女として憎からず思っているのはわかる。
回りくどく伝えて来ないで文句があるならハッキリ言ってくれよ、と将臣は思ってしまう。
他の兵達の嫉妬の視線もばしばし感じて、戦前にこんなことになって自分は戦中大丈夫かと内心冷や汗ものだった。
「将臣君、緊張してるの?」
「いや…大丈夫だ…」
心配そうに眉尻を下げて問う彼女は、物事に聡いと思っていたがこういう自分に関することは鈍いらしい。
を後ろに乗せて、移動中は不可抗力でひっついてもらえるのに、全く役得と思えないことが悲しい気がした。
かくして、総勢10万名にもなる平氏軍は平維盛を総大将とし、源義仲を討つべく京の都を後にしたのだ。