喧嘩はダメ!

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「…重衡が?」

珍しく朝から出仕し、昼過ぎに屋敷へ帰ってきた知盛は不機嫌の塊だった。


「知盛さんおかえりなさい」


いつも満面の笑みでそう言いながら、千切れんばかりに尻尾を振る子犬の姿を彷彿させる出迎えるをしてくれるは今日は居らず…
何事かと彼女と仲が良い女房を問いただせば重衡が連れ出したという。
下手に声を掛けたら、斬りつけてきそうなくらい不機嫌さを露わにしている知盛に、屋敷の者達もオロオロするばかり。
そんな時、



「ただ今戻りました〜」

場違いな程、明るい声で渦中の少女が帰ってきた。




「…随分と遅いお帰りだな…」

ゆっくりとした足取りで、と重衡のもとにやって来た知盛は口元は笑みを浮かべてはいたが、目元は全く笑っていない。
努気を隠すことの無い殺気すら感じられるその迫力に、普通の者ならば悲鳴をあげて逃げ出すだろう。


「知盛さんどうしたんですか?お腹でも痛いの?」

何を勘違いしたのか、は心配そうに慌てて知盛に駆け寄るとじっと見上げてくる。

不安そうに眉を下げながら真っ直ぐな瞳で見つめられると、それだけで不思議と苛立つ心が凪いでいくようだった。
しかし、彼女の後ろに自分とよく似た弟の姿を確認すると萎えかけていた知盛の言いようの無い苛立ちが再燃する。



「おや兄上、どうなさいましたか?」

兄の不機嫌の理由に気付いていながら、あくまでも穏やかさを崩さない弟に知盛の顔から怒りが消え、代わりに凍えるほど冷えた冷笑が浮かぶ。


「重衡…人の物に勝手を手を出すなど、いい度胸をしているじゃないか…」

「おや、彼女はそれを享受してはいないのでしょう?兄上の物と決まったわけではありませんよ」

「クッ言ってくれる…」

兄弟の間に流れる不穏な空気に、さすがに鈍いもこれはただ事では無いなと焦りだした。
そして何故だかよくわからないが、彼らの話からどうやらこの状態に自分が関わっているという事も。


(兄弟喧嘩?どうしよう…)


「あの、知盛さん?重衡さんも…喧嘩は止めましょうよ」


努めて明るくそう言って笑いを浮かべてみるものの、二人は見向きもしない。


「ねぇ知盛さん!」

自分のせいで喧嘩はしてほしくない。
何とか止めようとすがりつくように知盛の腕を両手で掴むと、知盛は鋭い視線をに送る。。


「…邪魔だ!」

「わっ…!?」



ガタンッ!



両手で掴んでいた腕はいとも簡単に力ずくで振り解かれ、その勢いで体勢を崩してしまった。
そのままの勢いでの華奢な身体は室内に置かれていた衝立てに当たって、衝立と一緒に倒れこむ。


「っ、!」

重衡が倒れるの手首を掴もうとしたが間に合わず、そのまま衝立てと共に床に叩きつけられる。


「いっ、いったぁ〜」


咄嗟に手を突き出して顔を庇ったため、衝立で頭を打つことは無かったが、ずきずきと痛むから手首と膝を擦りむいてしまったようだ。
重衡は慌てての側に駆け寄る。
重衡はの体を支えながら彼女を抱き起こすと、呆然と涙目のを見詰める知盛を睨みつけた。
何時も、温厚で優雅な笑みを浮かべていて怒った顔など思い浮かべられない重衡の意外な一面を見て、は思わず息をのむ。


「兄上…!」

「……」


一触即発な雰囲気が流れる中、はおずおずと重衡の腕を引っ張った。


…?」

知盛から自分に意識を向けた重衡を確認すると、ずれ落ちかけた眼鏡を外してじっと重衡の顔を見つめる。


「重衡さんありがとうございます。えっと、私、大丈夫だから」

本当は擦り傷が痛むが、彼を安心させためにぎこちなく笑い、立ち上がる。
今度は知盛に近寄り、重衡と同様にじっと彼を見つめた。


「…何だ…?」

知盛は怪訝そうに眉をひそめたが、は彼がもう怒ってはいないことに気が付いていた。むしろ、この顔は心配してくれている。
重衡がこの場に居なければ、を羽交い絞めにして傷の有無をチェックされていることだろう。


「よしっ!」


突然パン っと自分の頬を両手で軽く打ち、真剣な顔になる。
クルリと振り向き、驚いた表情の二人に向き合うように立つ。


「私、眼鏡が無いとよく見えないんです。だから二人を間違えちゃったけど…でも、ちゃんと知盛さんと重衡さんの特徴を覚えたから、もう二人を間違えません」

重衡の前まで歩むと、彼の手を取る。

「何で二人が喧嘩したかよくわからないけど…私、もう間違えないから…」

片手は重衡の手を握りながら、は空いている方の手で知盛の手を握る。


「だから、仲直りしてください。ね?」


ニッコリと笑いながら、お互いの手を握らせると無理やり握手をさせた。
何とも強引なやり方に、知盛と重衡は毒気を抜かれてしまい一瞬唖然とするが、の満面の笑みを見た瞬間にお互いの顔を見合わせる。


「クッ、お前はまったく…」

「ふふ、本当に可愛いらしい方ですね」


破顔した知盛と重衡の笑い声が重なる。
としては仲直りの握手をさせただけなのに、何故二人が笑うのか意味がわからずにきょとんとしていたが、ともあれ仲直りしてくれた事に安堵した。



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