こうなることはずっと前からわかっていた。
なのに、まさかという思いから目尻に涙が溜まっていく。
そんなこのタイミングで来るなんて、ずっと不安だった事が的中してしまうなんて。
早鐘を打ち続ける心臓と同時に、襲ってくるのは逆らうことの出来ない眠気。
「どうした?」
引きつった表情で黙り込み、胸に手をあてて荒い息を吐くの異変に気が付いた知盛が声をかける。
ああ、心配させてしまう。
「大丈夫」そう彼に言いたかったが、口に出すことは出来なかった。
(眠い―…なんで、こんなに…)
何とか瞼を開けていようと、睡魔と格闘するが…全身麻酔をかけられたような急激な眠気に勝てそうにも無かった。
徐々に瞼が重たくなりの視界には幕が下りていく。
(だめっ…まだ、はなしたい、こと、が…)
唇を強く噛んだ痛みで、瞳から涙が零れ落ちた。
「…おいっ!?」
ぐらり…
力を無くして傾いていくの体を知盛の腕が抱き留めてくれた、気がした。
(もう、お別れなの?嫌だよ…知盛さん…)
消えゆく意識の中で、必死に知盛の袖を掴もうとしたが、指は力無く落ちた。
それでも確かに最後に聞こえたのは…
「…」
何度も繰り返し呼ばれる私の名前―…
だが、彼の低音の声もその温もりもすぐに消えてしまった―…
ずっと前から、こうなることはわかっていたんだ。
始まりは唐突だったから、きっといつかは元の世界に戻るんだって。
でもさ、
でも、このタイミングじゃなくてもいいんじゃないの…?
* * * *
(…う、ん…)
目を開くと、視界に飛び込んできたのは染み一つない白い天井。
そして顔をくしゃくしゃにして涙を流して、自分を覗き込む久しぶりに見る母の顔だった。
「!わかる?お母さんよ?!」
悲鳴に近い声を上げながら抱き付く母の背中に手を当て、はっきりとしない思考で状況を確認しようと顔を動かす。
寝たままではよく見えないが、母のすぐ横には涙を浮かべる父親もいた。
「お母さん、お父さんも?私…何でこんな所に寝ているの?」
白い壁に囲まれた個室、生活感のない部屋は自室では無い。小さなテーブルとカーテンの引かれた大きな窓。
入院患者用の寝間着を着せられたうえに、ベットに寝かされていて…腕には点滴とまできたら、これでは自分は病人扱いじゃないか。
母に支えながらゆっくりと身体を起こすと、ぎしぎしと関節が痛んだ。
「何も、覚えて無いのかい?」
父に聞かれ、頷くと手を握りしめたままの母が教えてくれる。
「アンタは…マンホールに落ちたのよ。それからもう三日も目を覚まさなかったの」
「三日?」
(私やっぱりマンホールに落ちたんだ…でも、三日ってことは、今までのは全部夢?)
身体はマンホールに落ちた時に打撲と擦り傷を負っていたがそれ、以外は無事だった。
診察をした医師は「何故意識が戻らないのか」首を傾げていたという。
(夢にしても、やけにリアルな夢だったなぁ)
シャリン…
医師の診察が終わり、ベットから出ようと体を動かしたときベットの中で何かがの手に触れた。
「これ、は…」
そこにあったのは、銀細工の桜を型どった可愛らしいデザインの…
十六夜に照らされた桜の花が舞う中で、知盛から貰った大事な髪飾り。
そっと、壊れ物を扱うように両手でそれを胸に抱く。
看護師と話す母がの様子に気が付き、慌てて駆け寄る心配そうにと背中を擦る。
「?!どうしたの?痛むの?」
「…ううん、違う、違うの…」
痛いわけでも、悲しいわけでも無い。
ただ、胸が締め付けられるように疼く。
こんな想いは、知らない。
今まで味わった事がない感情に胸が締め付けられて、涙が溢れた。
そうだ、あの屋敷で過ごしたことは…
(夢でも幻、なんかじゃない)
“今度は、一緒に桜を見に行こうね”
“ああ…”
脳裏に蘇るのは彼との約束。
つい先ほどのことなのに、ずっとずっと昔の記憶にすら感じた。
いつか…
いつかまた会えたのなら、一緒に桜を見に行こうね。
知盛さん―…